力士暴力死事件で実刑 元時津風親方が死去 肺がん、64歳

[ 2014年8月13日 05:30 ]

肺がんを患い死去していたことがわかった元時津風親方・山本順一氏

 大相撲の元小結・双津竜で、引退後は時津風親方として部屋を運営し、07年6月の序ノ口力士暴行死事件で実刑判決を受けた山本順一(やまもと・じゅんいち)氏が死去していたことが12日、日本相撲協会関係者の話で分かった。64歳だった。時津風部屋の関係者によると、肺がんを患っていた。山本氏は暴行死事件により相撲協会を解雇されていた。

 7年前、相撲界に激震を走らせた渦中の人物がこの世を去った。山本氏は時津風部屋の師匠を務めていた07年6月、序ノ口力士・時太山(当時17、本名斉藤俊=たかし=さん)が愛知県犬山市の部屋の宿舎で暴行を受けて死亡した事件により、同年10月に相撲協会を解雇された。08年2月に傷害致死容疑で逮捕、起訴され、11年に懲役5年の実刑が確定。相撲協会関係者によると、刑が確定してしばらくは三重刑務所に入っていたが、その頃から体調を崩して同県内の病院に入院。肺がんであることが分かり、最後は都内の病院で亡くなった。

 現役時代から山本氏と親しかった時津風部屋所属の武隈親方(元幕内・蔵玉錦)は「きょう(12日)の午前中に連絡が入り、きのうの夜中に亡くなったと聞いた。先月、病院で会った時はすこぶる元気だった。うまそうにかき氷を食べていたのに…」と説明。大の愛煙家だったそうで、ショートホープを好んで吸っていた。最近も元弟子の豊ノ島の映像を見て「太りすぎだな」と話すなど、時津風部屋の様子を気にしていたという。この日、秋田巡業に参加していた山本氏の元弟子の幕内・豊ノ島は「個人としてはかわいがってもらったので驚いている。体が悪いというのはつい最近聞いていました」と話した。

 双津竜を名乗った現役時代は、巨体を生かした寄りを武器に活躍。32歳だった82年九州場所を最後に引退し、昭和の大横綱・双葉山がおこした名門・時津風部屋を02年8月に継承した。角界では「ゾウさん」の愛称で呼ばれるなど一見温厚でおっとりした人柄で知られた半面、酔って弟子に当たる様子が何度も目撃されるなど酒癖の悪さも有名だった。

 相撲協会は力士暴行死事件の後、10年に野球賭博問題、11年には八百長問題が発覚するなど不祥事が相次いだ。それが人気低下の原因となった。現在は、ホープ遠藤の登場などで人気を回復してきたが、そのさなか、国技に汚点を残した人物が静かに息を引き取った。

 ◆山本 順一(やまもと・じゅんいち)1950年(昭25)北海道室蘭市生まれ。時津風部屋の力士として63年秋場所で初土俵を踏み、69年九州場所で新十両。71年九州場所から「双津竜」と名乗り、72年春場所で新入幕、79年名古屋場所で新小結。82年初場所に幕下に陥落して同年九州場所を最後に引退した。引退後は部屋付親方を経て02年に時津風部屋を継承したが、力士暴行死事件を受けて相撲協会を解雇された。小結だった当時の体格は1メートル83、164キロ。

 ▽力士暴行死事件 時津風部屋の序ノ口力士だった斉藤俊さんが07年6月26日、稽古後に愛知県犬山市の宿舎から運ばれ、搬送先の病院で死亡。愛知県警は当初、事件性はないとしたが、その後暴行による多発外傷性ショックと判明した。当時の師匠である山本氏は兄弟子3人らと共謀し、斉藤さんをビール瓶で叩いたり、金属バットなどで殴ったとされ、名古屋高裁で傷害致死罪によって懲役5年の実刑判決を言い渡された。

 

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