豪栄道“精進あるのみ”野球賭博で迷惑かけた親方に恩返しを

[ 2014年7月29日 07:55 ]

境川親方(左)とともに会見する豪栄道

 05年1月、境川親方(元小結・両国)の熱い人柄にほれ、自ら直訴して埼玉栄高から境川部屋に入門した豪栄道(沢井豪太郎)。それは師匠にとっても不思議な出会いだった。03年2月に親方は年寄名跡を「中立」から「境川」に変更。その際に姓名判断の先生から「数年後に“豪”という字に縁のある人間と出会う」と言われ、下の名前も「豪章(ひであき)」に改名(本名は小林秀昭)したのだ。

 「その2年後、スカウトもしてないのに、あいつから入りたいと言ってきた時はぞっとした」と師匠。豪章と豪太郎という2人の男の運命的な師弟関係が結ばれた瞬間だった。

 高校11冠の実績を引っ提げ「沢井」のしこ名で05年春場所に序ノ口デビュー。同期生のライバルである影山(現関脇・栃煌山)らを倒し、いきなり7戦全勝で優勝した。その後もとんとん拍子に出世し、06年九州場所に20歳で新十両。師弟の名から1字、出身の埼玉栄高から1字、同高の山田道紀監督の名から1字を取り、「豪栄道」に改名した。

 07年秋場所に新入幕を果たすと、08年九州場所で新小結、09年夏場所に新関脇の座を射止めるなど順調に成長。だが、その翌年に人生最大の危機を迎えることになる。角界を揺るがした野球賭博問題に関与。母・真弓さん(58)は当時について「人生で一番落ち込んでいた。自分がしでかしたことの大きさを知り“相撲やめなあかんのかな”と漏らしていたみたいです。親方に悪いという思いでいっぱいみたいでした」と振り返る。

 10年名古屋場所は謹慎処分で、宿舎から一歩も出られない地獄の一夏を過ごした。豪栄道は言う。「師匠には本当にたくさんの迷惑を掛けた…」。当時24歳の青年に残された生きる道。それは思い悩んだ謹慎時に一緒に泣いてくれた師匠の元で、相撲に精進することだけだった。

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2014年7月29日のニュース