豪栄道 中学での挫折経て…名門・埼玉栄で一気に開花

[ 2014年7月28日 09:39 ]

第53回全日本選手権で高校生にして3位に輝いた埼玉栄時代の豪栄道

 昭和以降単独1位の14場所連続で関脇を務める豪栄道が名古屋場所で12勝を挙げ、大関に昇進することが確実となった。小学生時代から数々の実績を残して鳴り物入りで角界に入門。不祥事や伸び悩みを見事に乗り越え“サプライズ昇進”をつかんだ波瀾(はらん)万丈の相撲人生を振り返る。

 豪栄道(沢井豪太郎)の相撲の原点は小学1年の時にあった。父の勧めで地元・大阪府寝屋川市の大会に出場すると、いきなり優勝。相撲に魅了された。小学3年からは現幕内・勢の東口翔太らとともに名門相撲道場に通って稽古を重ね、小学5年でわんぱく横綱に輝いた。小学6年時のわんぱく相撲では前年度覇者の沢井が東口を太刀持ちとして引き連れ、横綱土俵入りを披露した。

 だが、中学に進むと一気に相撲への意欲が失われてしまう。運動神経は抜群だが、体重が75キロしかなく、現関脇・栃煌山の影山雄一郎や100キロを超える巨漢中学生だった現序二段・太田の太田剛希にタイトルを譲った。そんな沢井を救ったのが、名門・埼玉栄高の山田道紀監督だ。類いまれな能力を見込んで熱心にスカウト。すると沢井は「結果が出なくても声を掛けてくれるなんて」と感動を覚え、その瞬間に「前から行きたいと思っていました」と志願した。同じく入学が決まった現幕内・妙義龍の宮本泰成とともに新幹線に乗って埼玉入り。全寮制で相撲漬けの毎日を過ごし、体重も一気に30キロ以上増えた。「本当に厳しく指導したし、1年からレギュラーとして使い続けたことが良かった」と山田監督。高校ではインターハイなど11冠、04年全日本相撲選手権でも高校3年で出場して4強入りした。アマチュア横綱の座は当時29歳の栂木崇行(日本通運)に譲ったが、稽古で胸を出してもらった際には五分で張り合った。

 高校3年秋には名門・日大への道が内々定。だが、本音は違った。悩んでいることを察した山田監督から「俺に気を使う必要はない」と言われ、境川部屋の稽古に連れていかれた。当時幕下上位の宝智山(現君ケ浜親方)に10戦全勝。師匠の境川親方(元小結・両国)の熱い人柄にもほれ、数週間後、監督に「境川部屋でお願いします」と直訴した。

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2014年7月28日のニュース