“スキー申し子”れるひ ジャンプ五輪代表に ゆるキャラもいた!

[ 2014年1月8日 05:30 ]

表彰台で笑顔の清水

 全日本スキー連盟は7日、ソチ五輪のジャンプ代表に男女計7人を発表した。“日本スキーの父”レルヒ少佐を由来とした名前を持つ清水礼留飛(れるひ、20=雪印メグミルク)が初選出された。男子は冬季五輪で日本最多の7大会連続代表入りを決めた葛西紀明(41=土屋ホーム)、伊東大貴(28=雪印メグミルク)、竹内択(26=北野建設)ら五輪経験者がそろった分厚い布陣。清水は渡瀬雄太(31=雪印メグミルク)と団体戦の4枠目を争う。また、距離代表に女子は石田正子(33=JR北海道)と男子は短距離を得意とする恩田祐一(33=アークコミュニケーションズ)が選ばれた。

 姓は清水、名は礼留飛。人呼んで「しみず・れるひ」と発します。生まれも育ちもスキーにどっぷり。父・久之さん(53)は複合の国体選手、2歳年上の兄・亜久里も複合選手のスキー一家だ。

 名前の由来は100年前。スキーを日本に伝えたというオーストリア・ハンガリー帝国のレルヒ少佐にちなんでいる。少佐が初めてスキー教練をしたという新潟の地から、レルヒの名を持つ20歳がジャンプの五輪代表選手として羽ばたいた。

 「自分の名前の意味が分かったのは中1の時。その頃にジャンプも飛躍的に上達したし、いい名前だと思った」。ちなみに新潟県には「レルヒさん」なるゆるキャラもいるが、「県庁で1回会ったことがあるけどインパクトがなかった」と緩くない指摘で対抗心を燃やした。

 清水にとって大きな転機は高3の春だった。「走ることは嫌いじゃないけど純粋にジャンプを飛ぶことが楽しかった」と複合から純ジャンプへの転向を決意。渋る父には「俺の人生なんで俺に決めさせてくれ」と説得した。転向2シーズン目の12年には夏のグランプリで優勝も経験した。

 ところが、今季はW杯序盤戦で成績が振るわず、年末年始のジャンプ週間のメンバーから外された。「大丈夫かなと複雑な思いだった」。清水と入れ替わった岡部はここまでW杯4戦全て予選落ち。国内調整を進め、この日は名寄で北海道選手権を戦い、勝った清水の元に吉報が届いた。

 代表入りは五輪出場への第一歩。4枠のところに5人いる男子は、個人も団体も最後の1枠を清水と渡瀬が争う状況だが、雪印メグミルクの斉藤浩哉監督が「一発を狙うなら礼留飛」と話すように魅力は爆発力だ。「これでスタートラインに立てたのでメダルを目指して頑張ります」。思いをかなえた時、キラキラした名前には一層の輝きが加わるに違いない。

 ≪清水礼留飛(しみず・れるひ)≫

 ☆来歴 1993年(平5)12月4日生まれ。小学1年で競技を始め07、08年の全国中学スキー大会ジャンプで連覇を飾る。12年8月のサマーGP個人第2戦(フランス・クーシュベル)でGP初優勝。

 ☆家族 両親と兄。父・久之さん(53)は複合の国体選手で、兄の亜久里も専大で複合の選手として活躍。

 ☆名前の由来 「礼」儀を正して、悪いことがあっても踏み「留」まり、遠くまで「飛」翔してほしいという思いが込められている。

 ▽テオドール・エードラ・フォン・レルヒ少佐 日本にスキーを伝えたオーストリア・ハンガリー帝国の将校。1910年に来日し、翌年に新潟県上越市にあった日本陸軍の歩兵第58連隊営庭で14人のスキー研究員を対象に指導を行った。これが日本での本格的なスキー普及の始まりとなった。09年には翌10年がスキー発祥100周年となることを記念して、新潟県観光キャンペーンのゆるキャラ「レルヒさん」が誕生。昨年のゆるキャラグランプリでは総合120位だった。

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