松山 史上初ルーキー賞金王!最速16戦で2億突破

[ 2013年12月2日 05:30 ]

優勝で賞金王を決めインタビューで満面の笑顔を見せる松山

男子ゴルフツアー カシオ・ワールドオープン最終日

(12月1日 高知県安芸郡芸西村 Kochi黒潮カントリークラブ=7316ヤード、パー72)
 規格外のキング誕生だ。松山英樹(21=東北福祉大)が、史上初のルーキー賞金王を決めた。2位に2打差の首位で出た松山は、左手親指付け根付近の違和感のため痛み止めを服用しながら、4バーディー、2ボギーの70で回り、明徳義塾中、高時代を過ごした高知県で里帰りV。ルーキー最多タイの年間4勝、史上3人目の年間2億円を最速16試合で突破するなど、記録ずくめで栄冠をつかんだ。
【最終成績】

 怪物は最後まで怪物だった。2位に2打差で迎えた最終日。前週痛めた左手親指付け根付近の強い違和感で、7番の第2打の前には痛み止めを服用。フォロースルーで左手を離すなど満足なスイングができない状態だったが、それでも松山は優勝した。

 「ずっと我慢していればチャンスが来ると思ってプレーしていました」

 同組の池田が1番から3連続バーディーを決め首位に並ばれた。8番でボギーを打ち、逆に3打差をつけられた。それでも「(あれで)スイッチが入った」と進藤大典キャディーは振り返る。ここから劇的にアイアンの切れが変わった。9番で第2打を1メートルにつけ、10番はアプローチを1・5メートルに寄せ、12番で第2打を50センチにつけてバーディーを奪った。すると池田が16、17番の連続ボギーで失速。14番から静かに耐えた松山が残り1ホールで差し返した。

 「この黒潮CCで勝ちたい気持ちが強かった。勝ててよかった」。明徳義塾中、高校時代は太平洋が眼下に広がる雄大なコースをよく回った。高校1年時の07年には大会のボランティアにも参加した。最終日最終組のリーダーボードを持ち、手嶋多一の優勝を見守った。「その時に賞金王になるとは思わなかったけど、こういう舞台でやりたいと思った」。06年にはトップアマだった父・幹男さん(59)と同コースで開催された日本アマの地区予選会に2人で出場。父は本戦出場を決めたが、松山は3打差で届かなかった。親子の思い出の場所での快挙達成に幹男さんは「何かあるんだろうね」と感慨深げだった。

 史上初のルーキー賞金王の誕生。その内訳を見れば、あらためて規格外であることが分かる。2億107万6781円のうち、約4分の1にあたる4521万6448円が海外で稼いだものだ。国内で4勝、年間2億円に到達する記録ずくめの活躍をする一方で、海外メジャーで2度のトップ10入り(全米オープン10位、全英オープン6位)を果たし、米ツアーのシード権まで手にした。

 1年目で日本を制覇した今、目指すものは1つしかない。「結果は100点以上を付けられるけど、ここで満足をしたらメジャーで優勝はできない。アメリカ、そしてメジャーで勝てるように練習したい」とメジャー制覇を宣言。日本ゴルフ界の歴史を塗り替えるこの若者なら、やってくれるかもしれない。
 
 ◆松山が達成した記録
 ★史上初のルーキー賞金王 81年倉本昌弘の賞金ランク2位がルーキーの過去最高。
 ★ルーキーの年間最多勝 81年倉本昌弘の4勝に並ぶ最多タイ。
 ★最速で年間2億円超え 16試合での2億円突破は96年尾崎将司の17試合を抜く歴代最速。過去の年間2億円突破は01年伊沢利光、94、96年の尾崎将のみ。
 ★Vでキング 優勝した大会で賞金王を決めたのは3人目。00年片山晋呉、12年藤田寛之に次ぐ。

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2013年12月2日のニュース