目黒学院22年ぶり花園切符 10月死去の梅木元監督にささぐ

[ 2013年11月11日 06:00 ]

<目黒学院・東京朝鮮高>後半、トライを決める目黒学院・須藤

全国高校ラグビー代表決定戦

(11月10日 秩父宮)
 東京大会は決勝2試合が行われ、第1地区は目黒学院が78―0で東京朝鮮に勝利。全国で優勝5回、準優勝5回を誇る古豪が、91年(当時は目黒)以来、22年ぶり17度目の花園出場を決めた。一方、第2地区は22年連続出場中だった国学院久我山が、12―25で東京に敗戦。全国5度制覇の強豪が、都大会で姿を消した。

 懐かしい名前が花園に帰ってくる。目黒学院は開始6分、ラインアウトからのモールを15メートルも押し込んで、最後はプロップ小木曽(3年)が先制トライ。その後も順調に得点を重ねると、守っても東京朝鮮を完封。22年ぶりの花園進出を決めた幡鎌(はたかま)孝彦監督は「待ちに待った花園。本当にうれしい」と喜びをかみしめた。

 かつては目黒の校名で68年度に初出場。いきなり準優勝すると、70年度を皮切りに5度も頂点に立った。先月29日に79歳で死去した梅木恒明元監督の下、その名をとどろかせたが、91年度の出場を最後に衰退。一時は1学年の部員が15人に満たないこともあった。

 古豪復活へのカギとなったのは、厳しい指導で知られた“梅木イズム”の改革と継承だ。全国初制覇時の主将だった幡鎌監督は当時を知る一人だが「今の子に同じように練習をさせたらつぶれるだけ。話し方、接し方も当時とは違う」と明かす。練習時間は当時の3分の1ほど。主力選手が暮らす寮にも、かつての栄光を映す優勝盾や写真は飾られていないという。

 一方で「目標を高く持つことは今も昔も同じ」と話したように、常勝時代のDNAは受け継がれている。昨年度は都大会決勝で敗れると、この日2トライのCTB古川主将(3年)を中心に「日本一という目標を立てた」という。学校側も初のトンガ人留学生を招いてサポート。1メートル83、98キロの堂々たる体格で2トライを挙げるなど、攻守で超高校級の活躍を見せたNo・8タタフ(2年)を竹内圭介ヘッドコーチも「彼ら(留学生)のひたむきな姿勢を他の生徒も学んだ」と称えた。

 幡鎌監督は「これから梅木さんの霊前に報告に行きます」と話し、秩父宮を後にした。元日本代表の松尾雄治氏らを育てた名将に手向けた花園切符は、新たな黄金期の到来も予感させた。

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2013年11月11日のニュース