佐藤真海“凱旋フィーバー”最終プレゼンヒロインに熱視線

[ 2013年10月14日 06:00 ]

2回目、佐藤真海は4M75の大会新記録を出す

第13回全国障害者スポーツ大会

(10月13日 東京・味の素スタジアム)
 9月の国際オリンピック委員会(IOC)総会(ブエノスアイレス)での20年東京五輪招致の最終プレゼンテーターを務めた佐藤真海(31=サントリーホールディングス)が“凱旋試合”を盛り上げた。13日に東京・味の素スタジアムで行われた第13回全国障害者スポーツ大会に出場。帰国後は多忙のために十分に練習できず、女子走り幅跳びでは2位、100メートルは棄権した。ベストパフォーマンスは見せられなかったが、例年を上回る観客、報道陣が集まり、20年東京パラリンピック成功への手応えも残った。

 場内アナウンスはわざわざ佐藤の登場を観客に伝え、大型ビジョンにもその跳躍が大きく映し出された。助走路の奥、ピット(砂地)の向こう側にはテレビカメラ15台、スチールカメラ40台の物々しい砲列。最終プレゼンのヒロインの注目度はやはり別格だった。

 76社140人もの報道陣に、観客も例年より多い4383人を記録した。これが五輪招致の最終プレゼンに参加してから最初の試合。大会関係者は「他会場と比べても観客の数は桁違い。これは佐藤さん効果でしょう」とフィーバーぶりに驚いていた。

 佐藤の1回目は3メートル52、2回目は4メートル75。逆転を狙った3回目はファウルに終わった。先月7日の最終プレゼンに向けて約3週間練習ができず、帰国後も多忙を極めた。取材が殺到し、講演依頼は200件を超えた。味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)での約1週間の集中練習で「60~70%の状態」に戻すのがやっと。それでも客席からは「オリンピックありがとう!」と声が飛び、佐藤も「短い準備時間で大変だったけど出したい記録は出せた」と笑顔で応えた。

 「お客さんもたくさん入ってくれてうれしい。このムーブメントを大きくして2020年を迎えられたらいい」。この日は客席から助走路の一部が設置物に隠れてしまうなど、運営面でつたない部分もあった。佐藤が願うのは満員の観客で埋まったロンドンパラリンピックの再現。「どうやって応援していいか分からない人も多かったんじゃないか。応援環境も充実させていかないと」と今後の課題も感じ取った大会となった。

 パラリンピアンには利用のハードルが高いNTCで調整したのも、自分が前例となって競技環境を改善するため。「障害者スポーツとしてではなく、一つのスポーツとして限界に挑戦する姿を見てほしい」。トライアスロンにも挑戦しており、来月3日には自転車レース「ツール・ド・東北」に参戦する。日本の女性義足ランナーの先駆けとして、アスリートとして、佐藤の役割はますます増えていきそうだ。

 ◆佐藤 真海(さとう・まみ)1982年(昭57)3月12日、宮城県気仙沼市生まれの31歳。中学で陸上を始め、早大でチアリーダーとして活動していた01年に骨肉腫を発症。02年4月に右の膝下以下を切断して義足生活に。翌年からスポーツを再開し、04年アテネ大会の女子走り幅跳びに出場(9位)。日本人女性初の義足パラリンピアンとなった。08年北京大会は6位、昨年のロンドン大会は9位。自己ベストは日本記録およびアジア記録の5メートル2。

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