56年ぶりの東京開催決定!その2つの勝因とは

[ 2013年9月9日 06:00 ]

2020年五輪開催都市が東京に決まり、パブリックビューイングの会場で大喜びする人たち

2020年「東京」五輪決定

 56年ぶりの東京開催をもたらした理由は、大きく分ければ2つに集約される。1つは東京の内的要因、16年五輪招致失敗から学んだ招致活動の効果。もう1つはライバル都市の弱点が、投票するIOC委員の不安要素に直結してしまうような外的要因が東京の追い風になったという側面だ。

 (1)内的要因 16年の失敗の原因として挙げられたのはロビー活動の不足と、国内支持率の低さだった。これを反省した東京が、20年招致への再チャレンジを正式表明したのは11年7月16日。これはIOCのジャック・ロゲ会長ら要人を招いて開いた日本体育協会と日本オリンピック委員会の100周年記念式典の会場でのことだ。あざといまでの演出だったが、意識の変化は際立っていた。

 11年3月11日の東日本大震災後、スポーツ界は「こころのプロジェクト」を立ち上げ、アスリートを被災地に派遣する事業を展開。JOCの竹田恒和会長は6月以降、被災県の知事と会談を繰り返し、東京五輪招致への理解を求めた。このスピーディーな対応への意識が、政・財・官だけでなく文化、芸能界も巻き込んだ「オールジャパン態勢」の発想につながった。

 招致委員会の諮問機関である評議会を新設し、作詞家の秋元康氏までが名を連ねた。11年内に衆参両議院は招致を決議し、政府も閣議了解した。「一丸」の合言葉が国内の招致機運を高め、弱点の一つだった国内支持率は今年3月時点で目標だった70%を突破。高円宮妃久子さまの最終プレゼンテーションご出席にもこぎつけた。

 (2)外的要因 ロビー活動ではIOC委員3人を擁するスペイン・マドリードに後れを取り、8月に入ってからは東京電力福島第1原発の汚染水漏れを取り沙汰され、苦境に陥ったことは事実だ。だが、最後に東京に風が吹いた。それが16年リオデジャネイロ五輪の準備遅れだ。投票3日前にはロゲ会長が警告を与える事態となり、投票前日の6日には国際カヌー連盟が競技場の変更について抗議声明を送付したことも明らかになった。

 来年2月に迫っているソチ冬季五輪の準備遅れも問題視される中、クローズアップされたのが東京の安定感だ。見いだせなかった「なぜ、今、東京で?」の答えとして用意した「安心、安全、確実な五輪で、五輪の価値を高める」というキーワードが際立った。懸念材料だった汚染水漏れの問題に安倍晋三首相が数字を交えて答えたことで、投票行動のベクトルは定まった。最も勢いに乗っていたマドリードが1回目の投票で落選したことは財政不安に対する不安の表れであり、決選投票の圧倒はイスタンブールのインフラ整備に対する疑念の証明だろう。

 「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ」。フレーズは閉塞(へいそく)感にさいなまれる現代にマッチしたものではあった。だが、招致成功は新たなスタート地点にすぎない。まずは計画書通りの準備が、計画書通りの予算で実行できるか。寄せられた信頼を失えば、国内外からの批判は必至だ。

 さらに「復興五輪」の色合いはどこまで実現できるか。地震や津波、原発事故を想起させるとして一時は封印したキーワードに最後は頼った。高円宮妃久子さまの謝辞、被災地出身の佐藤真海、安倍首相のスピーチと、最終プレゼンで東京を後押ししたのは「震災からの復興とスポーツの価値」だったことは間違いない。ならば、被災地を聖火ランナーが走りサッカーの試合を実施するだけでは十分とは言えまい。7年後にはスポーツがどんな形で復興を支援しているのか、にも注目が集まっていることを再認識しなければならない。

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2013年9月9日のニュース