金栗魂継承だ!川内、伝説のランナーに激走誓う

[ 2013年8月17日 06:00 ]

瀬古利彦氏(右)、高橋尚子(右から2人目)らの取材を受ける川内

世界陸上

 金栗魂で駆ける。男子マラソンは17日、ルジニキ競技場を発着とするモスクワ川沿いの周回コースで、午後3時30分(日本時間同8時30分)に号砲。日本勢は5選手が出場するが、夏マラソンの進退を懸けて臨む川内優輝(26=埼玉県庁)が、3月に「日本マラソンの父」と呼ばれる故金栗四三氏(享年92)の墓参りをしていたことが分かった。同氏は、川内が飛躍するきっかけになった箱根駅伝の創設に尽力。“恩人”とも言える存在に激走を誓い、運命のスタートラインに立つ。

 今年3月、熊本・玉名市で行われた金栗杯玉名ハーフマラソンに出場した川内は、ある場所にひっそりと足を運んでいた。玉名郡春富村(現和水町)出身で、日本のマラソン界に偉大な足跡を残した故金栗四三氏の墓参り。「初めて行ったんですよ!」。3月の時点では世界選手権代表は発表されていなかったが、代表をほぼ確実にしていた最強の公務員ランナーは、墓前で大舞台での激走を誓っていた。

 金栗氏は1912年ストックホルム五輪に男子マラソンで出場。同五輪では、レース中に熱中症で意識を失って倒れた。農家で介抱され、「競技中に失踪」として扱われた伝説がある。67年、スウェーデン・オリンピック委員会から記念式典に招待され、時空を超えてゴールへ。54年8カ月6日5時間32分20秒3は、最も遅い永久不滅のレコードだ。「苦しくても意識が飛ぶまで、動けなくなるまで走りたい」と気合十分の川内は、倒れるまで走った同氏の魂を継承している。

 また、同氏は後進の育成のため、箱根駅伝の創設に尽力。「箱根駅伝にも大変、深い関わりのある方ですから!」と川内は興奮気味に語る。04年から、同駅伝の最優秀選手には金栗四三杯が贈呈されるようになった。川内は最優秀選手には届かなかったものの、学習院大時代に2度、関東学連選抜の一員として出場。最強市民ランナーとして今があるのも、同氏のおかげだ。

 暑さが弱点の川内は今大会の結果次第では、15年北京世界選手権や16年リオデジャネイロ五輪など夏レースからの撤退を決断する可能性もある。「しっかり戦えなければ夏のレースは最後になるかもしれない。納得いくような結果を残せるようにしたい」。悲壮な決意で駆ける42・195キロ。川内が限界に達した時、天国の故金栗氏がそっと背中を押してくれる。

 ◆金栗四三(かなくり・しぞう) 1891年(明24)8月20日、熊本県玉名郡春富村(現和水町)出身。83年11月13日に92歳で死去した。男子マラソンで出場した1912年のストックホルム五輪では、短距離の三島弥彦とともに日本初の五輪選手になった。20年アントワープ五輪は16位、24年パリ五輪は途中棄権。マラソンの自己ベストは2時間32分45秒。箱根駅伝創設に尽力し、熊本では金栗記念選抜中長距離大会や金栗杯玉名ハーフなどが開催されている。

 【日本選手決意表明】
 ▼堀端 故障のブランクがあり、6月末から走り始めた。可能な限り、先頭についていきたい。

 ▼藤原 10年前はここまで来られなかったので、少しホッとしている。最初から動くようなら、ついていきたい。

 ▼前田 前回(09年大会39位)みたいな走りはしたくない。取り返すには入賞しかない。

 ▼中本 入賞が目標だが(ロンドン五輪の)6位は一つの目安になる。それを超えられるように頑張りたい。

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2013年8月17日のニュース