60年五輪体操金メダリスト 相原信行氏が死去

[ 2013年7月17日 16:25 ]

1960年ローマ五輪の体操男子床運動で金メダルを獲得した相原信行氏(中央)

 体操男子床運動のスペシャリストで1960年ローマ五輪金メダリストの相原信行(あいはら・のぶゆき)氏が16日午後2時39分、肺炎のため群馬県高崎市の病院で死去した。78歳。群馬県出身。自宅は高崎市下滝町787の1。葬儀・告別式は19日午後0時半から高崎市高関町460の1、高崎メモリードホールで。喪主は妻俊子(としこ)さん。

 群馬・高崎工高から日体大に進み、56年メルボルン五輪団体総合と徒手(現床運動)で銀メダル。日体大卒業後にローマ五輪と62年世界選手権の団体総合と徒手で金メダルを獲得し、78年世界選手権までの五輪と世界選手権で団体総合10連覇を達成した体操ニッポン黄金時代の礎を築いた。

 俊子(旧姓白須)さんは64年東京五輪女子団体総合で銅メダルに、次男豊氏は92年バルセロナ五輪男子団体総合で銅メダルに輝き、日本史上初めて両親と子どもが五輪メダリストとなった。

 引退後の60年代後半にベネズエラのコーチに就き、同国のレベルアップに貢献。79年に自宅に創設した相原体操クラブの代表として後進を育て、豊氏が92年全日本選手権で史上初の親子2代の個人総合王者となった。足利工大教授や上武大教授を歴任し、97年に紫綬褒章を受章。群馬県体操協会名誉副会長だった。

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