雅山 涙の現役引退…年寄「二子山」襲名へ

[ 2013年3月25日 06:00 ]

引退会見で涙ながらに心境を語る雅山

大相撲春場所千秋楽

(3月24日 ボディメーカーコロシアム)
 元大関で十両の雅山が取組後に現役引退を発表した。鬼嵐を押し倒して3勝目を挙げたが、幕下陥落は決定的となっていた。この日の持ち回り理事会で年寄「二子山」を襲名することが承認され、今後は藤島部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。優勝を決めている横綱・白鵬が日馬富士を破り史上単独1位となる9度目全勝優勝を決めた。

 雅山が現役最後の一番で意地を見せた。仕切り前、館内には「雅山コール」が響く。それに応えるように、鬼嵐に頭から当たっていった。いなして回り込み、回転のいい突っ張りで押し倒し、大きな拍手に包まれて花道を引き揚げた。

 取組後は袴(はかま)姿になり真っすぐに師匠の藤島親方(元大関・武双山)が待つ審判部へ。気持ちは固まっていた。引退会見では、思わず涙があふれた。「気力はあるが体がついていかない。約15年。あっという間だった」

 思い出の取組として勝った3番を挙げた。大関から陥落して休場し、前頭からの出直しとなった02年春場所初日の玉春日戦。先場所、連敗を8で止めた玉鷲戦。そして現役最後の一番。「この3つは苦しい中での勝利で、思い出に残ります」。この日は妻・侑加さんも来場。「嫁が見ている前で勝ててよかった。地元でもないのに雅山コールがあり、ありがたかった」とファンに感謝した。

 山あり谷ありの土俵人生だった。明大を中退し、98年名古屋で幕下付け出しデビュー。突き、押しを武器に00年名古屋で大関に昇進。初土俵から所要12場所での昇進は幕下付け出しでは昭和以降1位で“平成の新怪物”と呼ばれた。だが、左足首関節および足根骨の脱臼などのケガに苦しめられわずか8場所で陥落。それでも、関脇の06年夏場所では14勝を挙げ、敗れたものの、当時大関の白鵬と優勝決定戦を演じた。

 10年名古屋は野球賭博関与で謹慎。その汚名をそそぐために現役にこだわった。大関陥落後に68場所も土俵を務めたのは昭和以降最多で、幕内在位は歴代9位の82場所。今後はこうした経験を生かして指導者の道を歩む。「ワンポイントで教える親方が多い。自分は一から十まで、分かるまで教えたい」と第二の相撲人生に思いをはせていた。 

 ◆雅山 哲士(みやびやま・てつし)本名・竹内雅人。1977年(昭52)7月28日、茨城県水戸市生まれの35歳。明大を3年で中退し98年名古屋でデビュー。史上初の初土俵から4場所連続優勝で99年春に新入幕。00年名古屋場所に大関昇進。三賞は殊勲2、敢闘5、技能1。得意は突っ張り。1メートル86、185キロ。血液型O。

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