日馬富士 汚名返上だ!14連勝で横綱初V

[ 2013年1月27日 06:00 ]

優勝が決まり鯛を持ち上げる日馬富士

大相撲初場所14日目

(1月26日 両国国技館)
 幕内で最も軽い133キロの横綱・日馬富士(28=伊勢ケ浜部屋)が大関・鶴竜(27=井筒部屋)を寄り切りで下し初日から14連勝、27日の千秋楽を待たずに2場所ぶり5度目の優勝を決めた。幕内最軽量力士の優勝は史上5度目。日馬富士は新横綱の昨年九州場所で9勝6敗に終わり批判を浴びたが、2場所目で横綱としての初優勝を果たし、汚名返上。両足首の痛みを乗り越え、横綱の役割を見事に果たした。
【取組結果 星取表】

 ただひたすら己を信じ、貫き、綱の矜持(きょうじ)を保った。133キロの日馬富士は優勝をつかんだ瞬間、土俵上で31本の懸賞の束(93万円)を握りしめた。そして、腕をぐるりと回して満員の館内に強さを誇示。NHKの優勝インタビューでは「横綱としての初優勝なのでうれしく思う」と、感情を抑えながら喜びの言葉を並べた。

 技巧派の鶴竜に対し、立ち合いで右を差すと「相手が巻き替えたら前に出ろ」というセオリー通りの攻めを実践した。最初は土俵際で粘られて戻されたが、2度目の巻き替えの瞬間に猛ダッシュ。獣のような目つきで一気に土俵外まで運んだ。

 昨年11月の新横綱場所。待っていたのは屈辱の成績だった。不慣れな土俵入りに神経を使い、連日のイベント出席などで体を酷使。無理に調整した反動で古傷の両足首痛が悪化した。9勝しか挙げられず横綱審議委員会からは「次も1桁なら引退」と突き放された。

 失意で自分を見失うなか必死に反撃への「土台」を模索した。昨年12月上旬には契約を結ぶトレーナーをモンゴルから来日させ、都内の自宅で同居。それから約1カ月間、毎日一緒に過ごして体のケアを行った。年末には18歳から週2~3日通う「エンドウジム」(東京都江東区)の遠藤光男会長の元を訪れ、ノウハウを請うた。遠藤会長は「自分に合った体重を維持し、スピードを磨くこと」と説得し、取り組んでいた増量についても「必要ない」とやめさせた。体が小さいのに大きな相撲を取って自滅した横綱はわれに返った。自身に必要なのは「横綱相撲」でなく「日馬富士の相撲」。スピードを生かすという原点回帰で今場所の平均時間は7秒5。優勝した昨年名古屋の7秒7、秋の14秒4を上回った。

 先場所後には母国に帰国し、06年12月に交通事故で急逝した父ダワーニャムさん(享年50)の墓前で昇進を報告。20日には元横綱・大鵬の納谷幸喜さん(享年72)の遺体の前で優勝を誓った。ケガを克服し、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)を3場所上回る昇進2場所目での横綱初優勝に「自分の体を褒めてやりたい。僕は横綱2場所目なので、これからです」。

 批判の声を完全に封じこめるためには全勝優勝しかない。どん底からはい上がった男の眼光は千秋楽で対峙(たいじ)する白鵬に向けられていた。

 ▼北の湖理事長(元横綱) 今場所の日馬富士は攻めが速かった。先場所は2桁勝利を割り、悔しさは相当あったはずだ。これで気持ちも落ち着くだろう。今年は半分(3場所)くらい優勝するつもりで頑張ってもらいたい。

 ▼鏡山審判部長(元関脇・多賀竜) 日馬富士は最初はもたもたしていたけど、強い人は違う。ご立派としか言いようがない。先場所は新横綱のプレッシャーがあった。それを乗り越えた。

 ▼九重親方(元横綱・千代の富士) 日馬富士は集中していたし、相撲が速かった。横綱の使命を果たし、場所で優勝への運び方が分かってくる。(自らと同じ昇進2場所目での優勝に)私は休場明けで苦しい中での優勝。それが後へとつながった。

 ▼横綱審議委員・沢村田之助委員(歌舞伎俳優) 日馬富士関はよくやられたと思います。あの小さな体で2場所目にこれだけの成績を収めたのは立派の一言です。

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