白鵬 大鵬さん亡くなる2日前に“遺言”聞いていた「しっかりやれ」

[ 2013年1月20日 06:00 ]

「納谷幸喜氏古希を祝う会」で白鵬(右)が祝福

大相撲初場所7日目

(1月19日 両国国技館)
 現役力士で元大鵬の納谷さんともっとも親交の深かった横綱・白鵬は豊響を上手投げで下し、1敗を守った。取組後には前々日の場所入り前に極秘面会していたことを告白。大鵬の持つ32回の最多優勝に近づくように精進することを伝え、激励を受けたばかりだった。白鵬というしこ名の元になった偉大な存在からの数々の助言を胸に、まずは北の湖に並ぶ史上4位タイの24度目の優勝を目指す。

 横綱土俵入りの直前だった。突然の悲報が白鵬の耳に入った。「まさか…」。現実を受け入れられなかったが、悲しみをこらえながら横綱の役割を全うする。満員御礼の中で堂々たる不知火型を披露し、取組でも4場所前の昨年夏場所に敗れた豊響を上手投げで圧倒。感情を殺して勝ち名乗りを受け支度部屋に戻ってくると、ようやく“角界のオヤジ”と慕った納谷さんに思いを募らせた。

 「実は2日前に会いました。場所入り前に早く起きて行きました。場所後ゆっくり行こうと思っていましたが、なぜか分からないが機会があった。具合が悪いと聞いていましたが、会った時はしっかりされていて。でも無理されていた。悔いが残るのは、今度家に行った時にモンゴル料理を作ると言っていたことを果たせなかったこと」

 常々、白鵬は「私には3人のオヤジがいる」と公言。生みのオヤジは実父・ムンフバトさん、育てのオヤジは師匠・宮城野親方(元幕内・竹葉山)、そして角界のオヤジが納谷さんだ。6年前の横綱昇進時に「宿命」という言葉を贈られ、付け加えて「横綱になったら引退することを考えろ」とも言われた。定期的に食事をするたび、弱くなれば存在する価値がない――という横綱道を教え込まれた。2年前には納谷さんの誕生日会の発起人を務め「角界のオヤジが71歳になりました」とあいさつ。恩返しをしたい思いを常に持っていた。

 昨年末からは大鵬の持つ32回の記録を目標にしていることを明かし始めた。今場所5日目の朝に都内の自宅に出向いた際に話したのは10分。「32回の優勝を目指します」と断言するのではなく「32回の優勝に1つ2つでも近づけるよう精進します」と尊敬の念を持って決意を伝えた。すると「しっかりやれ」と淡々と厳しい言葉を言われた。それが“最後の遺言”。この日夜には大嶽部屋で悲しみの対面をした。

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