二所ノ関部屋 初場所最後に消滅 大鵬、力道山ら輩出の名門

[ 2013年1月10日 06:00 ]

二所ノ関部屋に所属した大鵬

 大相撲で史上最多の優勝32回を誇る横綱・大鵬ら数々の強豪力士を生んだ二所ノ関部屋が初場所(13日初日、両国国技館)を最後に閉鎖されることが9日、日本相撲協会関係者の話で分かった。

 師匠の二所ノ関親方(64=元関脇・金剛、本名・北村正裕、北海道出身)が昨年10月下旬に脳梗塞により入院。懸命な処置を施したが思うように回復せず、師匠不在のまま部屋の運営が困難になっていたという。湊川親方(元小結・大徹)をはじめ後継者を探していたが、継承する親方が見つからずに角界屈指の名門部屋が消滅に追い込まれた。

 11月の九州場所を最後に定年退職する二所ノ関親方、部屋付きの北陣親方(元関脇・麒麟児)、湊川親方は初場所後に二所ノ関一門の松ケ根部屋などへ転籍予定。同じく部屋付きの富士ケ根親方(元小結・大善)は進退を明らかにしていない。部屋には三段目以下の力士3人、行司と床山が1人ずつ在籍している。

 二所ノ関部屋は大鵬のほか、戦前の横綱・玉錦や佐賀ノ花、琴ケ浜、大麒麟の3大関、後にプロレスラーとして活躍した関脇・力道山や幕内・天龍らを輩出。「土俵の鬼」と呼ばれた元横綱・初代若乃花も入門から約6年間在籍した。

 現在の二所ノ関親方は現役時代「ほらふき金剛」と呼ばれ、数々の語録を残すなど活躍。75年名古屋場所では平幕優勝を飾った。75年3月に当時の師匠(元大関・佐賀ノ花)の急死で後継者問題が勃発すると、兄弟子の大鵬らが候補に挙がる中、76年9月に27歳で引退。師匠の次女と婚約し部屋を継承した。名門部屋の担い手として期待されたが、95年には麻雀賭博問題で逮捕され謹慎処分。08年には相撲協会の理事に就任して広報部長などを務めたが、育てた関取は大善だけ。平成に入って力士数が大幅に減少していた。

 ◇二所ノ関部屋 1909年(明42)に友綱部屋の関脇だった海山が創設。4代目(元大関・佐賀ノ花)の時代に、横綱・大鵬、大関・大麒麟らを育て全盛期を迎えた。独立した花籠、片男波、佐渡ケ嶽部屋からも玉の海、琴桜、輪島らの横綱が相次いで誕生し、一門として隆盛を極めた。4代目死去後に、娘婿の現師匠(6代目)が継承。プロレスに転向した力道山、天龍や青葉城ら個性派力士も輩出した。

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