指揮官男泣き!吉田メイジ、劇的ロスタイム逆転V

[ 2012年12月3日 06:00 ]

<明大・早大>早明戦に勝利し対抗戦優勝を飾った明大。吉田監督(中央)と歓喜のフィフティーン

関東大学ラグビー対抗戦Aグループ 明大33―32早大

(12月2日 国立)
 吉田メイジが劇的勝利で14季ぶり15度目の対抗戦優勝を飾った。100回目(大学選手権含む)を迎えた伝統の早明戦で、明大が試合終了間際のトライ&ゴールで早大に33―32と逆転勝ち。宿敵に4季ぶり勝利で筑波大、帝京大と6勝1敗で並んで同点優勝を果たした。就任4年目の吉田義人監督(43)は早明戦5戦目での初勝利で男泣きした。早明戦の対戦成績は明大の43勝2分け55敗。大学選手権の順位付けは総得失点差で1位が筑波大、2位が帝京大、3位は明大となった。

 待ち焦がれた瞬間が訪れた。09年の監督就任と同時に入学した4年生が早大を初めて撃破。吉田監督は「国立でワセダに勝たせてあげたかった。選手の喜ぶ顔を見て感無量です。メイジの矜持(きょうじ)を取り戻せた」と涙を流した。

 劇的フィナーレだ。26―32で2分のロスタイムに突入すると、敵陣ゴール前でFWがボールを奪った。SO染山副将のパスに反応したロック古屋が終了8秒前の41分52秒にインゴールへ。逆転ゴールを決めた染山副将は「対抗戦優勝よりワセダに勝てたことがうれしい」と声を震わせた。

 指揮官が育てた選手はたくましかった。後半13分に13点差。残り10分でフランカー竹内主将は「“前へ”を復活させようと思った」と攻めた。後半32分だ。プロップ石原(4年)は「吉田監督に“真っ向勝負”と耳にたこができるほど聞かされた」とスクラムで勝負。3度目で早大が反則を犯した認定トライで息を吹き返した。

 スター選手だった吉田監督にとって苦難の道のりだった。監督就任は24季ぶりに大学選手権出場を逃した直後。「吉田義人が15人いるラグビー」を掲げて始動したが、4年生はばらばらで創部初の主将2人制を敷いて対抗戦は3勝4敗。「メイジ、死んじまえ」というファンのヤジも受け「普通の人だったらノイローゼになった」と悩んだ。

 指揮官は監督室にある故北島忠治元監督の肖像画を見て気持ちを高ぶらせた。まずは選手の生活面の改善に着手。練習を午前6時と9時の2部構成にし、着実に「前へ」の強化を進めた。集大成の今季は「FWとバックスのバランスが取れた」と手応えをつかんだ。「俺もやっと北島忠治監督の“練習通りやれ”という境地になった」。10月13日に東京・三田の大松寺で座禅を組ませた。禅語「平常心(びょうじょうしん)」の半紙を控室に掲げ、選手たちを送り出した。

 大学選手権第2ステージはC組となり、リーグ戦1位の東海大を倒さなければならない。吉田監督は「日本一の道は険しい。真っ向勝負で新しいメイジの時代を築きたい」と宣言。100戦目の早明戦を制した勢いで北島監督が亡くなった96年度以来16季ぶりの大学日本一へ突き進む。

 【早明戦アラカルト】

 ☆初対決 1923年(大12)12月24日、早大戸塚球場(当時)で行われ早大が勝利。73年から国立で開催される。

 ☆初優勝 73年(昭48)大学選手権決勝で明大が初の3連覇を狙った早大に終了間際の逆転トライで初V。

 ☆引き分け 2試合。早大がいずれも試合終了に追いつき、75年は藤原優、90年は今泉清が劇的トライを決めた。

 ☆番狂わせ 早大は名将大西鉄之祐監督が最後に率いた81年の対抗戦で圧倒的不利を覆して逆転勝ちした。

 ☆最多観客 82年(昭57)に6万2064人が観戦し、国立競技場史上最多(当時)の観客動員となった。

 ☆雪の早明戦 87年(昭62)に雪が積もる中、試合残り10分で激しい攻防を演じた末に早大が逃げ切った。

 ☆弔いの黒襟 96年(平8)に明大の北島忠治監督が逝去し、選手は黒襟のジャージーを着て早大に勝った。

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