名門ショック…エスビー陸上部廃部 選手ら“移籍”目指す

[ 2012年9月1日 06:00 ]

苦渋の表情で廃部を発表する瀬古利彦・スポーツ推進局局長

 エスビー食品は31日、都内で瀬古利彦スポーツ推進局局長(56)らが会見し経営合理化策の一環で陸上部を来年3月末で廃部すると発表した。1954年創部で、84年から全日本実業団駅伝で4連覇。84年ロサンゼルス、88年ソウル両五輪では長距離種目に複数の代表を送り込むなど、黄金時代を築いた。今後は08年北京五輪5000、1万メートル代表の竹沢健介(25)ら6選手、スタッフ、瀬古局長を含めた合計12人で他の企業への移籍を目指す。

 往年の名ランナーが、レースの時よりも険しい表情を浮かべていた。エスビー食品は午後4時から都内で緊急会見を開き、来年3月末で陸上部が廃部になると発表した。瀬古スポーツ推進局局長は「急な発表で申し訳ありません。経営環境を考えると、廃部もやむを得ない。本当に寂しい」と絞り出した。竹沢ら選手、スタッフにはこの日午前中に伝えられたが、一様に驚いていたという。

 54年に創部されたエスビー食品陸上部は日本長距離界の名門だ。80年に中村清監督(故人)と瀬古が入社すると、有力選手が続々と加入し、84年からは全日本実業団駅伝で4連覇を達成。84年ロサンゼルス五輪に男子マラソンで瀬古、同1万メートルに金井、女子マラソンに佐々木が出場。88年ソウル五輪にも男子マラソンで瀬古、新宅を送り込んだ。ソウル五輪後、瀬古は監督に就任。04年アテネ五輪男子マラソンで国近を大舞台に送り込んだ後、06年4月にはスポーツ推進局局長に就任し陸上部をサポートしていた。

 廃部の理由にはエスビー食品の経営悪化が挙げられたが、近年の大会で結果を残せなかったことも大きな要因だ。早大時代に08年北京五輪に出場した竹沢、09年世界選手権に出場した上野ら有力ランナーを抱えながら、今年のロンドン五輪に代表を送り込めなかったことが決定打になった。「現役時代は会社に多少、恩返しはできたと思うが、監督、局長になってからは(会社を)満足させられなかった。選手の成績も廃部理由の中にあったかもしれない。私には分かりませんが」と瀬古局長は話した。

 今後は6人の選手、スタッフ、瀬古局長を含めた合計12人を受け入れてくれる企業を探す。「全員が移籍するのを前提に企業を探したい。若い選手たちもいるので、早く安心させたい」と瀬古局長。廃部が発表されたばかりで、名乗りを上げる企業はまだ現れていない。12人まとめて受け入れる企業がない場合は、バラバラで活動を続けるしかない。引退に追い込まれる選手が出てくることも考えられる。

 また、瀬古局長は去就について「選手、スタッフが決まるまで自分のことは考えていない」と話した。関係者によると、12人そろって移籍できない場合残留する可能性もあるという。「選手、スタッフが新しい環境で競技できるよう探すことが私と会社の使命。泥臭いことができるのがエスビー魂。エスビーの魂を受け継いでいきたい」。廃部というかつてない逆風に、エスビー魂で立ち向かう。

 ▼田幸寛史監督 「世界で戦う」という高い理念のもと、選手、指導者と20年にわたり競技活動をさせていただきましたことを大変感謝しております。新しい環境のもとで、この選手たちをリオデジャネイロに向けて鍛え上げ、世界を目指すエスビー魂をこれからも大切にしていきたい。

 ▼上野裕一郎(09年世界選手権5000メートル代表)今まで在籍した陸上部がなくなるのは残念です。ただ、一選手として移籍先が決まるまでは、今まで通り他の選手たちと一緒に頑張って練習を続けます。

 ▼竹沢健介(08年北京五輪5000、1万メートル代表)瀬古局長、田幸監督のもとで頑張ってきたので残念です。早く気持ちを切り替え前を向いて練習に励みたいと思います。

 ▼旭化成・宗猛監督 赤いユニホームが消えるのかと思うと非常に残念。時代の流れで企業に浮き沈みはあるし、それに応じた判断だったのだろうが、一緒に戦ったわれわれとしては寂しい。

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2012年9月1日のニュース