小原が金!初の五輪で世界選手権8回Vの実力見せた

[ 2012年8月9日 06:00 ]

女子48キロ級決勝、アゼルバイジャン選手(左)を破り、万歳して喜ぶ小原日登美

ロンドン五輪レスリング

 女子48キロ級の決勝で小原日登美(31=自衛隊)がマリヤ・スタドニク(24=アゼルバイジャン)を下し、金メダルを獲得した。多くのケガやうつ病、2度の引退を経て、09年12月に復帰。世界選手権8度優勝の31歳は、女子レスリングが正式種目となって3度目の五輪で初出場初優勝を飾った。この階級の日本勢の優勝も初。今大会の日本選手団の金メダルは3個目となった。

 スタンドで揺れる日の丸に、マット上から喜びを伝えた。31歳の小原が最初で最後の五輪で頂点に立った。51キロ級時代を含め、世界選手権は8度優勝。だが、この舞台の勝利には特別な意味があった。五輪に正式採用が決まった01年9月から、11年近く。想像を絶する険しい道のりが、その歓喜を大きくしていた。

 00、01年と世界選手権の51キロ級を連覇。しかし、04年アテネで五輪正式種目入りした女子は、4階級だけだった。48キロ級に落とせば妹・真喜子(現姓・清水)との戦いは避けられない。選んだのは55キロ級。02年、全日本選手権で吉田に挑戦し、フォール負けを喫した。「強くない自分には、もう価値がない」。傷心のまま帰郷すると、自傷行為が始まった。うつ病。過食で体重は70キロを超えた。

 共働きだった母・万理子さんは仕事を休み、付き添った。3交代制の職場に勤める父・清美さんは睡眠時間を削って、ランニングに連れ出した。1度目の引退から再起した小原は、07年にも55キロ級に挑戦。五輪への道を断たれると、08年に2度目の引退を決意した。だが、夢はくすぶっていた。コーチとしてサポートしていた妹が引退を決意した夜、「お姉ちゃんに夢を引き継いでほしい」と頼まれた。09年12月、3度目の現役復帰は48キロ級で。もう、道を阻むものはなかった。

 03年に手術した膝は、本来ならボルトがなければならない状態だ。だが、戦うために「支え」を抜いてもらった。肩、肘、そして腰。多くの古傷を自らの力で支えるために必然的にたどり着いたのが、筋肉の彫刻のような体。10キロを超える減量をサポートするため、母は4月に18年勤めた会社を辞め上京した。「支えてくれる人に結果で恩返ししたい」

 この日、最後に戦ったのは、くしくも妹・真喜子が引退を決意した09年の世界選手権で頂点に立ったスタドニク。この大会を最後に引退を決めている31歳は、多くの人の夢を成就して、波瀾(はらん)万丈の物語をハッピーエンドにしてみせた。

 ◆小原 日登美(おばら・ひとみ)1981年(昭56)1月4日、青森県生まれの31歳。八戸工大一高から中京女子大(現至学館大)を経て自衛隊。旧姓・坂本。非五輪階級の51キロ級で6度の世界選手権優勝。55キロ級で狙った五輪出場を逃し、08年に引退したが、ロンドン五輪を目指して48キロ級で一昨年に現役復帰。世界選手権で2連覇を達成。10年10月に高校の1年後輩の康司さん(30)と結婚。1メートル56。

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