野口 万感6位…引退否定「またここからスタート」

[ 2012年3月12日 06:00 ]

6位でゴールし涙を流す野口みずき

名古屋ウィメンズマラソン

(3月11日 ナゴヤドーム発着)
 万感。ゴールした野口の目から涙がこぼれ落ちた。「五輪を逃した悔しさもあるが、走り切れてよかったという気持ちの方が強い」。07年東京国際以来、1575日ぶりのフルマラソン。2時間25分33秒の6位で3大会連続の五輪代表入りは夢と消えたが、心の中は充実感が勝っていた。

 走れなかった4年4カ月を象徴するような劇的レースだった。4・4キロでは一時ペースメーカーの前に出た。17キロすぎに遅れ始めると、25キロ地点では先頭まで24秒差。それでも28・5キロで集団に追いつく執念を見せた。32キロの尾崎のスパートには追走できなかったが、立ち上がったアテネ五輪女王に対しナゴヤドームで待ち受けた観客は万雷の拍手で迎えた。

 北京五輪直前のスイス合宿で左脚付け根を肉離れ。本番5日前に欠場を決めてから、いばらの道が始まった。走っては痛むの繰り返しで、09年11月には左足の筋力が右足の半分に落ちた。広瀬永和監督(46)に「もう辞めます」と泣き叫んだ夜もあった。復帰予定だった1月の大阪国際も左太腿裏の炎症で欠場。三十路(みそじ)の女性に白髪が増えた。だからこそ支えてくれた周囲に感謝した。

 ファンからは声援だけでなく、ロンドンの地図が描かれたハンカチをもらったこともある。この日は3・11。07、08年の仙台国際ハーフ連覇など東北に縁のある野口は「諦めない気持ちを見せたかった。だからこそ頑張れた」と被災地への思いも口にした。

 名古屋は02年に初マラソン初勝利を挙げた思い出の地。その時のタイムより2秒早いだけだったが「またここからスタート」と引退を否定した。次のレースは今秋のベルリンなどが候補となる。「故障せずにやれれば自己ベストを狙える。ずうずうしいと思われるかもしれないが諦めずにやっていきたい」。新たな目標は自らの持つ2時間19分12秒の日本記録更新。野口の挑戦はまだまだ終わらない。

 【北京五輪以降の野口】

 ☆08年8月 北京五輪に向けたスイス・サンモリッツ合宿中に左脚付け根を肉離れ。本番5日前に欠場を発表した。
 ☆10年10月 実業団女子駅伝西日本大会で2年5カ月ぶりに実戦復帰。3区(10・5キロ)で区間5位。
 ☆10年12月 全日本実業団女子駅伝で3区(10キロ)を走ったが、区間20位と失速。レース後、左足舟状骨の疲労骨折が判明した。
 ☆11年6月 長野・菅平高原での合宿中に、左臀部(でんぶ)を肉離れ。夏のハーフマラソンでの復帰が白紙に。
 ☆11年10月 実業団女子駅伝西日本大会の3区(10・5キロ)で32分25秒で区間賞を獲得。レース後、12年1月29日の大阪国際への出場を表明。
 ☆11年11月 オランダの15キロロードレースに出場。左膝に違和感を訴え、50分25秒で5位に終わった。
 ☆11年12月 山陽女子ロードでハーフマラソンに出場。1時間10分48秒で5位。
 ☆12年1月 大阪国際の4日前の25日に、左太腿裏炎症のため欠場を発表。名古屋ウィメンズへのスライド出場を決断。

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2012年3月12日のニュース