錦織16強!佐藤次郎以来、日本人80年ぶり全豪3勝

[ 2012年1月22日 06:00 ]

ベテランのベネトーを逆転で破りガッツポーズする錦織圭

全豪オープンテニス第6日

(1月21日 オーストラリア・メルボルンパーク)
 男子シングルス3回戦で、世界ランキング26位で第24シードの錦織圭(22=フリー)は世界39位のジュリアン・ベネトー(30=フランス)を4―6、7―6、7―6、6―3で下し、日本男子では1932年に4強入りした佐藤次郎以来80年ぶりとなる全豪3勝をマークした。4大大会での4回戦進出は08年全米以来2度目。22日はクルム伊達公子(40=エステティックTBC)と組んで、初の混合ダブルスに挑む。

 我慢が長かった分、喜びは大きかった。根負けしたベネトーのショットが力なくネットにかかって3時間25分の熱戦に終止符が打たれると、錦織は天に拳を突き上げて跳びはねた。

 「何回か負けを考えた。今週で一番いいフィーリングだったのに、相手が上回るプレーをしてきた。この接戦を勝てたことは大きい」

 勝負を分けたのは1セットずつ取って迎えた第3セットだ。積極的に前に出てくるベネトーに押され、2―5とリードされる苦しい展開だったが「普段だったら諦めているけれど、1ゲームずつ取って行こうと思った」と落ち着いて反撃に出た。長いラリーに耐えてミスを誘う。要所ではリターンエースを決めて、第2セットに続いてタイブレークに持ち込んだ。タイブレークでツアー通算25勝15敗を誇る勝負強さを発揮し、そのセットものにした。30歳のベテランの心をへし折った。

 観客の声援も味方にした。追い上げムードになると「ニシコリコール」が湧き起こった。シード選手となり、知名度も上昇。地元ファンからは「グローリー、ニシコリー」と韻を踏んだ声援も飛んだ。「変なオーストラリア人の応援も力になった」とニンマリ。3戦連続で赤のウエアを着用した。デ杯の日本代表でも身につける勝負カラーでハートに火を付けた。そんな験担ぎも効いた。

 昨年の3回戦を超える4回戦進出。日本男子では80年ぶりとなる全豪1大会3勝の快挙は「正直考えたことない」と実感が湧かない。だが、4年前の全米4回戦進出とは違う手応えがある。

 「08年(の全米)は夢のような気持ちだったが、今は当然のように考えることができている。確実に気持ちが強くなっている」

 23日以降に予定される4回戦の相手は世界6位のツォンガ(フランス)。昨年10月の上海ロレックスマスターズでストレート勝ちしており、相性がいい。「上海のようにはいかない。もっと点を決めてくるので、しっかり対処したい」。95年ウィンブルドンの松岡修造以来となる日本男子4大大会ベスト8へ、心の準備はできている。

 ▽1932年全豪オープン 男子シングルスは32人のドローで行われ、1、2回戦を突破した佐藤次郎は準決勝でマクグレイス(オーストラリア)に6―3、6―3、6―2でストレート勝ち。準決勝ではホプソン(オーストラリア)に6―0、2―6、3―6、6―4、4―6で競り負けた。この大会では布井良助もベスト8に入った。佐藤は1930年代に活躍し、4大大会で日本人最多5度のベスト4入りを果たした名選手。34年にデ杯で欧州遠征に向かう際、マラッカ海峡で投身自殺したことでも有名。

 <5・15事件 ナチス第1党…激動の年>1932年(昭和7年)、日本では青年将校が犬養毅首相を暗殺する「5・15事件」が発生。満州国建国が宣言され、ドイツでナチスが第1党になるなど第2次世界大戦につながる転換点を迎えていた。ロサンゼルス五輪では南部忠平が三段跳びで世界新記録で金メダルを獲得した。島崎藤村の小説「夜明け前」第1部が刊行され、石原慎太郎・東京都知事が生まれた。

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