ミュンヘン金メンバー悼む 大古氏「われわれは松平一家」

[ 2012年1月6日 06:00 ]

02年5月、30年前に五輪金メダルを獲得した思い出の地、ミュンヘン訪問前に会見する(左から)森田淳悟、松平康隆、大古誠司の各氏

松平康隆氏死去

 松平康隆氏の死去が明らかになった5日、ミュンヘン五輪金メダルメンバーが相次いで都内の同氏の自宅に弔問に訪れた。日本バレーボール協会強化事業本部長を務める森田淳悟氏(64)は「バレー界を引っ張っていたヒーロー。残念です。全く妥協のない方でした」と故人をしのんだ。

 五輪当時、1メートル90を超える森田、大古、横田の3氏は「ビッグスリー」と呼ばれたが、松平氏は「大男でもウドの大木になるな」と逆立ちなどアクロバティックな補強運動で俊敏性を磨いた。「練習中一つでもミスがあると必ず反復練習があった。“世界と戦うにはファインプレーが3回続かないと1点取れない”とよく言われました」と森田氏。練習は厳しかったが「絶対に手を上げることはなかった」という。

 「世界の大砲」と呼ばれた大古誠司氏(63)は「9人制から転向してきて、何もできない私に全てを叩き込んでくれた。私は松平さんによる手作りの選手です」と感謝の言葉を口にした。印象に残るのは練習と同じくらい大事にした人間教育。「バレーだけ強くても駄目。人間的に世界一にふさわしい人になりなさい」と口酸っぱく言われた。合宿には英会話の先生が招かれ、遠征先では名所・旧跡に必ず全員で足を運んだ。ミュンヘン五輪前には図書館や大使館に行ってドイツ事情を勉強し、発表し合ったこともあった。

 既に猫田勝敏氏、南将之氏、中村祐造氏はこの世にいないが、松平氏と当時のメンバーは「ミュンヘン五輪の会」と称して年に1回集まっていた。35周年の5年前には全員でミュンヘンを再訪した。森田氏によると「おまえらが頑張ったから、俺は金メダルの監督になれた。俺が勝たせたとは思っていない」と教え子たちを大事にしてくれたという。大古氏は「われわれは松平一家です」と松平監督の下でプレーした8年間を誇りにしている。

 ▼木村憲治氏 一人一人が武器を持って戦えば、世界一になれる、そのためにはどうすればいいのか自分たちで考えろという指導だった。世界一になるために24時間を有効に使え、とよく言われた。

 ▼西本哲雄氏 育ててもらったオヤジのようなものです。

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