松井功PGA会長悼む 毒舌で怖くて優しいアニキ

[ 2011年12月29日 06:00 ]

杉原輝雄氏死去

 【松井功PGA会長 杉原氏を悼む】

 私が25歳でプロ入りした時、4歳上の杉原さんは既に日本オープンなどで優勝しており、仰ぎ見る存在だった。試合で同じ組になると威圧感があって、声を掛けることができなかった。杉原さんも一言もしゃべらなかった。後で「おまえはエエとこのボンらしいな。俺は貧乏で苦労したんや」と言われた。

 当時は関東と関西にそれぞれプロゴルフ協会があり、互いにライバル心があった。関東の若造に負けるかという意地が、無言の圧力をかけさせていたのだろう。

 親しく話をするようになってからは、その毒舌に閉口させられた。私が女子プロの樋口久子と離婚した直後にイベントなどで一緒になると壇上に上げられ、マイク越しに「おまえ、何で離婚したんや。おまえの浮気が原因か」とからかわれた。

 それでも、よく食事に誘ってもらったり、スポンサーを紹介してもらったりと助けてもらった。私が日本プロゴルフ協会(PGA)の会長になる時には「プロはうるさいのが多いけど、おまえがいいと思うことは貫き通せ。誰か何か言ってきたら俺が出ていってやる」と励まされた。

 最後に話をしたのは7月の東日本大震災チャリティーイベントの前日だった。発起人の代表だったが体調を崩して出られなくなり「すまんな。みんなに謝っておいてくれ」と言われた。大阪で阪神・淡路大震災を経験した人だったから、被災者のことを本当に気に掛けていた。まだまだやりたいことがいっぱいあったと思うが、今は心からご冥福を祈っている。

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2011年12月29日のニュース