独特“鳴戸流”に疑問も…昔かたぎで情に厚い津軽のじょっぱり

[ 2011年11月8日 09:00 ]

1983年7月、横綱昇進を決め、若い衆に胴上げされる隆の里

鳴戸親方 急死

 鳴戸親方ほど評価の分かれる指導者もいない。稀勢の里や隆乃若ら相撲経験のない中卒力士を関脇まで育てあげたのは立派だが、相撲協会関係者の中には「彼らが鳴戸部屋じゃなかったらとっくに大関に上がっていた」と指摘する声もあった。

 現役時代は筋力トレなど上半身を鍛える科学トレを相撲界でいち早く取り入れた。そのせいか、腰高で体の動きは硬かった。弟子たちも胸を出して力任せに引っ張り込むような相撲が多く、大関獲りを前に伸び悩んだ。また、「先輩は後輩を指導する責任がある」と関取衆が出稽古に行くのを禁止するなど指導方針も独特だった。

 稽古中も突然「話を聞け」と延々と話を始め30分以上中断させることも。ある見学者はその様子を「学校の先生の授業の脱線話のよう」と評した。関係者は、稽古を中断することで力士の体が冷え切ってしまうと“鳴戸流”に首をかしげた。

 ただ、性格は昔かたぎで情に厚いタイプ。師匠の故二子山親方(元横綱・初代若乃花)の誕生日や部屋のOB会には欠かさず出席。足が不自由だった車椅子の師匠を帰りの車まで見送るなどかいがいしく世話を焼いた。「誕生会でもみんな途中で帰ったりするけど最後までいてあげなくちゃ。帰る時のおやじさんのうれしそうな笑顔が忘れられないよ」。頑固で一途(いちず)な津軽のじょっぱり。取り巻く環境が激変し、そのスタイルが時代に受け入れられなくなっていたのは残念だった。

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2011年11月8日のニュース