どうなる鳴戸部屋…西岩親方が継承し存続へ

[ 2011年11月8日 06:00 ]

鳴戸親方 急死

 鳴戸親方の急死で鳴戸部屋は部屋付の西岩親方(元幕内・隆の鶴)が継承する可能性が高くなった。師匠不在では部屋は存続できず、本場所にも臨めない。協会関係者は継承問題について「西岩親方が鳴戸の名跡を譲渡されて部屋を継承するのが一番すっきりするのじゃないか」と話した。

 ただ、西岩親方は若の里が所有する年寄名跡(親方株)を借りているため、協会の内規では部屋の継承を認められない。鳴戸親方の株を西岩親方に譲渡し、名跡を交換しなければ、鳴戸部屋を継承できない。理事会、鳴戸親方の遺族との話し合いになるが、現在いる稀勢の里ら力士のことを考慮すると最善策と思われる。

 また、西岩を所有する若の里が部屋を継承する可能性もあるが、二枚鑑札(現役のまま師匠になること)を協会が認めておらず、若の里自身も現役続行を希望している。同じ二所ノ関一門で二子山部屋出身の松ケ根部屋への転籍の道もあるが、大関獲りを目指す稀勢の里ら所属力士のことを考えると可能性は低い。8日の臨時理事会で西岩親方の名跡交換が承認されれば、新生鳴戸部屋がスタートする。

 <朝日山部屋以来>師匠の死去により部屋を継承した例は、97年5月20日に朝日山部屋(元小結・若二瀬)が亡くなり、当時同じ一門(立浪・伊勢ケ浜連合)の伊勢ケ浜部屋付の楯山親方(元大関・大受)が同5月29日に継いで以来。06年6月23日に二十山親方(元大関・北天佑)が急死した時には、部屋付親方がおらず、6月24日に同じ出羽海一門で、兄弟子の北の湖親方(元横綱)の部屋に吸収合併された。

 ◆鳴戸部屋 元横綱・隆の里の鳴戸親方が1989年2月に二子山部屋から独立して起こした。関取第1号は1993年名古屋場所新十両の力桜(現プロレスラー)で、96年名古屋場所には部屋で最初の新入幕に。厳しい指導と豊富な稽古量で知られ、元関脇・隆乃若や元幕内・隆の鶴を輩出。九州場所の番付では関脇・稀勢の里、平幕の高安、若の里の幕内3人に、チェコ出身の十両・隆の山の4人の関取が在籍している。部屋の所在地は千葉県松戸市。

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2011年11月8日のニュース