祈り届かず…稀勢の里「恩返し」の大関獲りへ

[ 2011年11月8日 06:00 ]

故人との思い出を語る西岩(中央左)と稀勢の里

鳴戸親方 死去

 愛弟子の祈りは届かなかった。午後7時40分、部屋主催の「お別れの会」の途中で斎場から出てきた稀勢の里の目は真っ赤だった。師匠の容体悪化を聞かされた6日夜に集中治療室(ICU)に駆けつけたが、既に意識がなかったと明かし「早く起きてほしかった」と無念そうに話した。そして、師匠の思い出を問われると、言葉を詰まらせ号泣。何度もハンカチで涙を拭った。

 入門前は野球少年だったが、中学3年夏の最後の大会が終了後、両親とともに自らのプロフィルを持参して鳴戸部屋に見学に行った。その際に師匠から「体も足も大きいし、面構えもいい。将来は大関以上になる」とほれ込まれ、稽古方針が自らの性格と合っていると思った稀勢の里自身も「この人だったら」と入門を決意。それ以来、猛稽古でメキメキと出世し、貴乃花に次ぐ史上2番目の若さ(18歳3カ月)で幕内に昇進。叩き上げの星として大きな期待をかけられた。13日に初日を迎える九州場所では大関獲りが懸かっていたが、最後の調整に入った矢先の悲報。稀勢の里の父・萩原貞彦さんは「本人から近くこっち(関東)に戻ると連絡があったが、ショックで言葉になってなかった」と話した。

 稀勢の里ら所属力士は葬儀の準備などで、8日にも千葉県松戸市の鳴戸部屋に戻る予定。場所直前に稽古ができないのは大きなハンデだが、稀勢の里は「親方に指導してもらったことを思い出して一生懸命恩返しできるように頑張ります。なんとか調整したいです…」と言葉を絞り出した。鳴戸親方は稀勢の里を自慢の弟子だと公言し「空港や鉄道の駅、全国のどこにいっても“稀勢の里関を横綱にしてあげて”と声を掛けられる、私の大仕事だな」と話していた。志半ばで天国に旅立った師匠の夢を実現することが、最高の恩返しとなる。

 <東京へ遺体搬送>鳴戸親方の遺体は、この日午後9時すぎに、車で東京に向けて出発した。きょう8日午後にも東京の斎場に運ばれ、近日中に葬儀・告別式が行われる見通しになっている。弟子の稀勢の里ら鳴戸部屋の力士、関係者は葬儀の準備などのため同日、千葉県松戸市の部屋に戻る予定だ。

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2011年11月8日のニュース