“公約”通り 古閑美保引退 妹分には2月に打ち明ける

[ 2011年9月28日 06:00 ]

10年4月、2年ぶりのツアー優勝を飾った古閑。この試合から優勝は遠ざかっている

 2008年の賞金女王で、ツアー通算12勝の古閑美保(29=京セラミタ)が27日、今季限りでの引退を電撃発表した。09年5月に左手首痛を発症した後は低迷が続き、身体的、精神的に限界を感じたことを理由として決断に至った。坂田塾1期生で、ジュニアを経てプロで成功した先駆け的存在。かねて「30歳で引退」を公言していた通り、“有言実行”でゴルフ界から身を引くことになった。

 思い立ったら一直線といういかにも古閑らしい幕引きだった。08年の賞金女王。苦戦続きとはいえ今季の賞金ランクも46位でシード圏内のトッププロだ。それが今季ツアー9試合を残し、今季限りでの引退を表明した。

 29日に開幕する日本女子オープンへの出場資格がない古閑は現在、都内で過ごしており、マネジメント事務所を通じ「これまで家族をはじめ、ゴルフにかかわる多くの方々に支えられてここまでやってくることができました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。まだ、今シーズンの試合も残っているので、最後まで古閑美保らしいプレーを見せたいと思います」とのコメントを発表した。

 引退の要因となったのはここ数年苦しむ左手首痛だった。マネジメント事務所は「発症以来続く手首痛の影響による身体的、精神的な限界を感じ、ゴルファーとして終止符を打つことにした」と説明した。女王になった翌年の09年5月に痛みを発症すると、この年は勝てず、昨年は1勝したものの終盤の5試合を欠場。今季も予選落ちが7回と苦しんでいた。

 衝撃的な引退発表に見えるが、もともと「30歳で引退」を公言してきた経緯もある。トップパフォーマンスが出せない状況の中、古閑の中で徐々に競技への情熱が薄れていたのも事実だった。古閑と同じ熊本県出身で、妹分的存在の笠りつ子は「今年2月の沖縄合宿中に打ち明けられた」と語る。古閑が事務所に引退の決意を告げたのは、2週前のマンシングウェア東海クラシックを欠場したとき。その後、所属の京セラミタなど各スポンサーへの報告を行い了承を得たことで、今回の発表に至った。

 古閑は次週のSANKYOレディース(群馬・吉井CC)前の10月5日にも引退会見を行い、そのうえでツアーに復帰する予定。女子ゴルフ界を盛り上げてきた人気者は、トッププロとして最後まで走りきる姿をファンに見せる。

 ◆古閑 美保(こが・みほ)1982年(昭57)7月30日、熊本市生まれの29歳。少年野球チームに所属していたが、小学5年生からジュニア育成の坂田塾1期生としてゴルフを始める。二岡中2年の96年に日本ジュニアに優勝。プロデビューは日本ではなく、東海大二高卒業前の01年2月ハワイでの米ツアー「武富士クラシック」。同年の8月にプロテストに一発合格。03年ヨネックスレディースで初勝利を挙げ、ツアー通算12勝(メジャー2勝)。08年は最終戦で3打差をひっくり返して優勝し、大逆転で賞金女王。生涯獲得賞金は歴代15位の5億6365万3238円。師匠は不動裕理、大山志保の師匠でもある清元登子。1メートル67、60キロ。

 ≪古閑ぶっちゃけ語録≫

 ☆「好きな人ができたんですよ。100%片思い。凄くゴルフが好きで応援してくれるから頑張っちゃおうかな」(08年1月のトークショーでいきなり片思いを告白)

 ☆「優勝したら告白するってノリで言ったけど、フラれたらテンションはがた落ち。優勝するより告白の方が一大事」(08年2月に推薦出場した米ツアーで好発進に気をよくして)

 ☆「私はゴルフはあんまり。顔でスポンサーをつけて…」(08年3月の開幕戦を前に、太ったことを気にして)

 ☆「ここは阪神ファンが多いからアウェーかな。でも彼、奈良県出身だからそれは救い」(08年4月、現ツインズの西岡との交際発覚後の兵庫県開催のツアーで)

 ☆「私も子供が欲しい。息子が出てくるまで産み続ける」(09年7月、妹に長男が誕生したことを受けて)

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2011年9月28日のニュース