プロ16年目の苦労人がついに…河井博大ツアー初勝利

[ 2011年5月16日 06:00 ]

初優勝を決め、ガッツポーズの河井

男子ゴルフツアー日本プロ選手権日清カップヌードル杯最終日

(5月15日 兵庫県小野市・小野東洋ゴルフ倶楽部=7158ヤード、パー71)
 プロ16年目の39歳、河井博大(フリー)が4バーディー、1ボギーの68で回り、2位に2打差の通算9アンダー、275でツアー初優勝を果たした。パットに苦しみシード落ちを繰り返してきた苦労人が、メジャータイトル獲得で5年シードを手にした。国内メジャー最年少優勝が懸かっていた石川遼(19=パナソニック)は2バーディー、1ボギーの通算2オーバーで12位に終わった。

 夢にまで見た優勝インタビューは、涙でうまく言葉が出てこない。河井は何度も声を詰まらせ「すみません」と謝った。プロ16年目の39歳。もがき、悩み続けた道のりを振り返り「やめないで良かった」と男泣きした。

 08、09年の韓国ツアー賞金王ベ・サンムンとのマッチレース。接戦を制したのは苦しみ続けたパットだった。2年前から手袋をはめてクロスハンドで打つスタイルにしており、今大会前には“石川遼公認”の練習器具とパターマットを4000円ほどで購入。15番で6メートルを沈めてパーを死守すると、17番はグリーン外からパターを持ち、7メートルを沈めるバーディーで1打リードした。

 グリーン回りからパターを使うことをテキサス・ウエッジという。河井は「(わずかに)グリーン外ならアプローチよりパター。このコースに来てからずっと練習してきた」と準備していた。94年は合田洋が18番でバンカーからパターで寄せて優勝を決めたが、それをほうふつさせる技で、メジャータイトルをたぐり寄せた。

 初めてキャディーを務めた松村卓さん(37)も涙を流して喜んだ。互いにプロを目指していた頃、広野GCで研修生だった仲。今も練習の虫として知られる河井を「雨の日も雪の日も練習という人」と振り返った。それでも結果が出ないのがプロ。シードが獲れず、妻と2人の子供のために転職を考えた時期もあった。広島・瀬戸内高の1学年先輩で教えを受ける田中秀道には「やめたい」と打ち明けたこともあった。だが「ゴルフが好きで好きでしようがない」とクラブを握り続け、この日を迎えた。

 2日目から逃げ切った堂々の優勝で、5年シードを獲得した。これまでは「心技体が全て中途半端」と自身を評してきたが、それももう過去のものとなった。

 ≪ツアー初優勝が日本タイトル≫1973年のツアー制施行後、ツアー初優勝が日本タイトルだったのは、河井で15人目となった。河井は39歳6カ月2日での優勝。15人の中では、五十嵐雄二(09年ツアー選手権)の40歳9カ月10日、P・テラベイネン(96年日本オープン)の40歳5カ月6日に続く“遅咲き”となった。

 ◆河井 博大(かわい・ひろお)1971年(昭46)11月13日、広島市出身の39歳。中学3年でゴルフを始め、瀬戸内高校では田中秀道の1年後輩。日大を経て、広野GCで研修生となり、96年のプロテストに合格した。賞金ランクは昨年の42位が最高。家族は妻と1女1男。愛知県春日井市在住。得意クラブは1W。1メートル81、70キロ。

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2011年5月16日のニュース