相場は幕内で80万円…元幕下力士「過去にもあった」

[ 2011年2月4日 06:00 ]

大相撲八百長メール問題

 八百長は過去にも存在していた。90年代に活躍した元幕内力士の付け人を務めた元幕下力士が3日、スポニチ本紙の独占取材に対し、十両を中心に八百長が頻繁に行われていたことを告白した。元幕下力士によると当時の相場で幕内は80万円、十両は40万円で勝ち星が売買されていたという。元幕下力士は八百長の存在が明るみに出たことで、角界が浄化されることを熱望した。

 角界を揺るがす八百長問題についてOBが重い口を開いた。07年に現役引退した元幕下力士は「これを契機に八百長がなくなって角界が生まれ変われるなら」という願いを込めて証言した。現役時代を振り返り「ありましたよ。自分が付いていた関取にも…」と過去にも八百長が行われていたことを告白した。

 関取には通常2、3人の付け人がいるが、そのうちの1人が対戦相手の付け人と八百長について交渉していたという。「当時はメールがなかったので、関取の付け人が橋渡しをしました。東の支度部屋を使う関取の付け人が西支度部屋に、西の関取の付け人が東(の支度部屋)にいたら八百長の相談だったと思います」

 元幕下力士によると、両国国技館には以前、東西の支度部屋を直接つなぐ狭い通路があって、自由に往来できた。その通路で関取同士が直接話し合うこともあったという。3人の力士の間で勝ち星(星)を回すこともあった。AがBに、BがCに、CがAにという形で回せば、はた目には八百長だと分かりにくい。交渉は当日の場所入り後から取組前までに行われていることが多かった。

 星は貸せば返すのが相撲界の掟(おきて)だが、買い取りのケースでは金銭授受が行われていた。元幕下力士によると90年代後半は幕内が80万円、十両40万円が相場だった。

 元幕下力士は、八百長は幕内より十両の方が数が多かった印象だと振り返る。十両は月額100万円以上の給料がもらえるのに、幕下に落ちた途端に無給となる。それが八百長を助長する原因となっていると指摘した。

 疑惑が浮上した2日、放駒理事長(元大関・魁傑)は「過去には一切なかったこと」と過去に八百長の存在はなかったと断言したが、実情は違っていたのだ。ただ一方で多くの力士が八百長に関与せず、まじめに相撲に取り組んでいることも事実。元幕下力士は「私の現役当時だって、絶対に八百長をやらない力士もたくさんいた。表には出にくいでしょうけど、そういう力士の存在も知ってほしい」と強く訴えた。

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2011年2月4日のニュース