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「土俵の鬼」初代若乃花の花田勝治氏が死去

[ 2010年9月1日 18:52 ]

死去した花田勝治さん(元横綱初代若乃花)

 「土俵の鬼」と呼ばれた大相撲の元横綱初代若乃花で、日本相撲協会元理事長の花田勝治(はなだ・かつじ)氏が1日午後5時25分、腎細胞がんのため東京都新宿区の慶応大病院で死去した。82歳。青森県出身。自宅は東京都杉並区成田東3の25の10。葬儀・告別式は5日午後1時半から中野区中央2の33の3、宝仙寺で。喪主は次男浩(ひろし)氏。歴代横綱では初代梅ケ谷の83歳に次ぐ2番目の長寿だった。

 花田氏は2005年5月に死去した元二子山親方(元大関貴ノ花)の兄で、若乃花、貴乃花の兄弟横綱の伯父。1946年秋場所、若ノ花のしこ名で初土俵を踏み、50年春場所で新入幕を果たした。55年秋場所後に大関、58年初場所後に第45代の横綱に昇進。全盛期で105キロの軽量ながら猛げいこで鍛え上げ、豪快な右上手投げや呼び戻しの大技でファンを熱狂させた。好敵手の横綱栃錦とは昭和30年代前半に「栃若時代」の大相撲黄金時代を築き、優勝も栃錦と並ぶ10回を記録した。
 62年夏場所前に34歳で現役を引退し、年寄「二子山」を襲名。二代目若乃花、隆の里の2横綱、貴ノ花、若嶋津の2大関ら多くの関取を育てた。相撲協会では巡業部長、事業部長を歴任し、88年2月から理事長に就任。92年初場所で初優勝したおいの貴花田(後の貴乃花)に天皇賜杯を授与し、相談役に退いた。
 93年3月の定年退職後は相撲博物館長を務めていたが、96年9月に「二子山」の名跡売買問題に絡んで館長を辞任。その後は公の場に姿を見せることは少なく、昨年あたりからは体調を崩して入退院を繰り返していた。

 ▼おいの三代目若乃花の花田勝氏の話 親せきから病状のことは耳にしていましたが、それでも突然のことに大変驚いています。偉大な若乃花という名を継がせていただいた身として本当に残念です。花田家の相撲人生はまさに初代若乃花から始まりました。伯父がいたからこそ、父をはじめ私たちは相撲で頑張ることができました。父と「兄弟」であって「師匠と弟子」という大変厳しくつらい関係を全うした強い心を持った方でした。

 ▼弟子だった間垣親方(元横綱二代目若乃花)の話 42年前に中学校の教室に来てくれたことを思い出した。とにかく厳しい師匠だった。最後に会ったのは2年くらい前の正月。協会のために頑張れよと言っていただいた。それがうれしかった。

 ▼元横綱大鵬の納谷幸喜氏の話 いつかはと思っていてもわびしいというか。惜しい人を亡くした。関脇のころまではよくけいこをつけてもらい、新入幕のときには小手投げを食らって鎖骨にひびが入った。雲の上から相撲協会がよくなるように見守っていただきたい。

 ▼放駒理事長(元大関魁傑)の話 8月15日にお見舞いに行ったときは、まだまだ元気だと思った。残念としか言いようがない。(協会を)しっかり立て直していけよ、と言われたのが最後の言葉で、印象に残っている。

 ▼鳴戸親方(元横綱隆の里)の話 土俵の鬼というけれど、とてつもなく優しい人だった。すごくカリスマ性のある師匠だから、僕らもついていった。もっともっと生きてほしかった。(きょうは)お疲れさま、ありがとうと言いました。

 ▼花籠親方(元関脇太寿山)の話 怖くて温かくて、優しい師匠だった。ここ(旧二子山部屋)でけいこをしたことを思い出す。

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