長野五輪ジャンプ日本代表監督・小野学氏死去

[ 2010年7月6日 06:00 ]

死去した小野学氏

 ノルディックスキー・ジャンプの指導者として98年長野五輪日本代表監督を務め、金メダル2、銀1、銅1の活躍に貢献した小野学(おの・まなぶ)氏が3日午前6時50分、呼吸器不全のため長野市の病院で死去した。59歳。親族ですでに密葬を済ませている。

 長野高から慶大を経て北野建設などでジャンプ選手として活動し、76年全日本選手権70メートル級(現ノーマルヒル)制覇。80年代半ばから指導者に転身し、92~93年シーズンに日本のヘッドコーチになった。北海道の企業チームの指導者がまとまりを欠く中、長野県出身の小野氏に調整役の期待が集まってのものだった。
 英語に堪能で海外情報を積極的に取り入れ、大学教授らとの連携で「感覚」の世界だったジャンプに客観的なデータを取り入れた。温厚な人柄で選手に慕われ、94年リレハンメル五輪で団体銀メダル、長野五輪では船木和喜がラージヒルを制し、団体戦も優勝。団体戦では猛吹雪の中での原田雅彦のスタートに対し審判団に抗議するなど、熱血漢の一面もあった。
 近年は食道がんと闘いながら、北野建設スキー部監督として、フリースタイルスキー・モーグルの上村愛子らの指導にも携わった。入退院を繰り返しながら昨夏もジャンプ台で測定などを行い「あと2年は生きる」と笑顔を見せていた。今年2月のバンクーバー五輪はジャンプの解説者として現地入り。最後までスキーを愛した人物だった。

 ▼雪印スキー部原田雅彦コーチ 4月に白馬合宿に行った時に体調が悪いとは聞いていたけど…。僕らを海外に積極的に送り出してくれて、強くしてくれた。理論派で、データを提示してくれたので、指導も分かりやすかった。本当に残念です。

 ◇お別れの会 16日午後3時から長野市南千歳1の28の3、ホテルサンルート長野=(電)026(228)2222=で。喪主は妻ひとみさん。

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2010年7月6日のニュース