五輪マラソン選考で物議…小掛照二氏死去 

[ 2010年5月10日 09:54 ]

死去した小掛照二氏

 日本陸上のお家芸と呼ばれた男子三段跳びの元世界記録保持者で、日本陸上競技連盟や日本オリンピック委員会(JOC)で副会長を務めた小掛照二(こがけ・てるじ)氏が9日午後9時43分、肝不全のため東京都内の順大病院で死去した。77歳だった。葬儀・告別式は未定。喪主は妻の泰子(たいこ)さん。

 広島県出身。戦前の五輪で3大会連続金メダルの織田幹雄、南部忠平、田島直人に続く三段跳びの後継者として期待を集め、広島・上下高時代から跳躍選手として活躍。早大を経て大昭和製紙入社後に才能が開花し、1956年メルボルン五輪の直前に16メートル48の当時世界新記録をマークした。一躍金メダル候補に躍り出たが、大会前に足首を痛める不運も重なり、五輪は8位に終わった。
 引退後は日本陸連で強化委員長、強化本部長などを歴任。五輪のマラソン代表選考をめぐっては何度も物議を醸し、88年ソウル大会の男子代表選考では実績重視で瀬古利彦選手を選出。92年バルセロナ大会の女子代表でも松野明美選手と有森裕子選手の選考が国民的な議論を巻き起こした。
 日本体育協会からのJOCの分離独立にも尽力。84年ロサンゼルス五輪、88年ソウル五輪で陸上の日本代表監督を務め、JOCでは98年バンコク・アジア大会、2002年釜山アジア大会で日本選手団団長など要職を歴任した。国際オリンピック委員会から五輪オーダー(功労章)も受章した。

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2010年5月10日のニュース