体操ニッポン中心選手の遠藤幸雄さん死去

[ 2009年3月26日 06:00 ]

1964年10月、東京五輪体操男子個人総合優勝の遠藤幸雄選手。左へ同点2位のリシツキー、シャハリン(共に当時ソ連)、鶴見修治の各選手

 五輪、世界選手権男子団体総合10連覇など「体操ニッポン」栄光の時代の中心選手で、64年東京五輪の個人総合で日本選手初の金メダリストとなった遠藤幸雄(えんどう・ゆきお)氏が25日午前4時16分、食道がんのため都内の病院で死去した。72歳だった。葬儀は近親者で行い、後日、お別れ会を開く。喪主は妻保子(やすこ)さん。引退後も日本体操協会の役員として後進の育成に尽力するなど、体操に生涯をささげた人生だった。

 体操ニッポンの黄金時代を支えた英雄が、帰らぬ人となった。遠藤氏は、07年10月に食道がんの手術を受け、一時は回復に向かっていたが、腹痛を訴えた昨年1月に緊急手術。北京五輪開幕直前の昨年8月4日に再び入院してからは闘病生活が続いていた。
 遠藤氏は中学2年生で体操を始め、秋田工から東京教育大(現筑波大)を経て、同じ秋田出身の先輩・小野喬氏とともに、日本の中心選手として活躍。日大助手時代の60年にはローマ五輪で初の団体総合優勝にも貢献した。64年東京五輪では日本人初の個人総合の金メダルを獲得。ソ連の不敗神話を打ち破り、美しい体操のオールラウンダーとして、日本の強さを世界に示した。
 日本選手団の旗手を務めた68年メキシコ五輪では団体総合3連覇するなど、五輪3大会で金5、銀2の計7個のメダルを獲得。世界選手権では金3、銀5、銅2の計10個のメダルも獲得した。鉄棒の「前方開脚浮腰回転倒立」は国際体操連盟が「エンドー」と命名。99年には国際殿堂入りも果たした。
 現役引退後は日本体操協会の専務理事、副会長、日本オリンピック委員会(JOC)理事などを歴任し、日大教授としても後進の指導に当たった。96年に紫綬褒章を受章し、昨年には旭日中綬章も受章。日大名誉教授で、日本体操協会の顧問を務めていた。60歳を超えても、授業中に鉄棒の大車輪を披露していた遠藤氏。体操にささげた72年の生涯だった。

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2009年3月26日のニュース