東京五輪で個人総合金メダルの遠藤幸雄氏が死去

[ 2009年3月25日 11:33 ]

1964年10月、東京五輪体操男子種目別平行棒で、金メダルを獲得した遠藤幸雄選手

 体操の五輪、世界選手権男子団体総合10連覇など「体操ニッポン」栄光の時代の中心選手で、1964年東京五輪の個人総合で日本選手初の金メダリストとなった遠藤幸雄(えんどう・ゆきお)氏が25日午前4時16分、食道がんのため、東京都千代田区の駿河台日大病院で死去した。72歳。秋田県出身。葬儀は近親者で行い、後日、お別れ会を開く。喪主は妻保子(やすこ)さん。

 2007年10月に食道がんの手術を受けて回復に向かっていたが、腹痛を訴えて昨年1月に緊急手術し、北京五輪開幕直前の8月4日に再び入院してからは闘病生活が続いていた。
 中学2年生で体操を始め、秋田・秋田工高、東京教育大(現筑波大)を経て同郷の小野喬氏を目標に成長し、日大助手時代の60年ローマ五輪で日本初の団体総合優勝。美しい体操が武器のオールラウンダーとして東京五輪では団体総合、個人総合、種目別平行棒で金メダルに輝いた。日本選手団の旗手を務めた68年メキシコ五輪では団体総合3連覇。五輪3大会に出場して金5、銀2の計7個のメダルを獲得した。
 鉄棒の「前方開脚浮腰回転倒立」は国際体操連盟(FIG)が「エンドー」と命名し、昨年引退した冨田洋之氏らトップ選手も取り入れる基本技となった。
 現役引退後は日本体操協会の専務理事、副会長、日本オリンピック委員会(JOC)理事などを歴任し、日大教授としても後進の指導に当たった。九六年に紫綬褒章を受章し、九九年に国際殿堂入り。昨年に旭日中綬章も受章した。現在は日大名誉教授で、日本体操協会の顧問を務めていた。

 ▼竹田恒和・日本オリンピック委員会(JOC)会長の話 われわれが若いころのスポーツ界の英雄だった。体操ニッポンを築かれた一員であり、日本のスポーツ界を引っ張ってくれた。惜しい方を亡くし、心からご冥福をお祈りする。

 ▼二木英徳・日本体操協会会長の話 大変残念。遠藤氏の活躍は多くの国民に元気と勇気を与えてくれた。「体操ニッポン」の精神と誇りは後進に引き継がれている。

 ▼加藤沢男氏の話 体操ニッポンの礎を築いた方。高校に入るころからのあこがれの存在でいつも手本にしていた。一昨年あたりから具合がよくないと聞いていたが、いろいろなことをもう聞くことができないと思うと寂しい。

 ▼池田(旧姓田中)敬子さんの話 繊細な方だった。偉大な小野さんを継いで重圧で苦しんだと思うけれど、その期待に応えた人。全日本ジュニア連盟の副会長として、アテネ五輪で花を開いたジュニア育成に尽力してくれた。

 ▼具志堅幸司氏の話 東京五輪で日本最初の個人総合金メダリストになって、国民の英雄だった。ぼくもあこがれた1人。選手時代は指導もしていただいて尊敬していた先生だった。日本の体操をメジャーにした功績は先生の力。本当に残念です。

 ▼塚原光男氏の話 まだ若いし、残念に思う。ミュンヘン五輪のときに右ひざをけがしていたが、チームリーダーの遠藤さんが起用してくれたおかげで月面宙返りで金メダルが取れた。お酒も飲みに連れて行ってくれたり、公私ともお世話になった。

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2009年3月25日のニュース