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こだわり旬の旅

【九州・長崎&熊本】天草のしめ縄の意味は…潜伏キリシタンの歴史を歩く

[ 2019年4月2日 17:00 ]

「信徒発見」のレリーフ(手前)から見る大浦天主堂。。八角形の尖塔と白亜の壁が凜々しい
Photo By スポニチ

 2度目の挑戦で昨夏、世界遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を求めて、長崎、熊本両県を訪ねた。12の構成資産のうち、キリシタンが潜伏、そして潜伏が終わる、それぞれのきっかけとなった戦場跡や教会などが点在。歴史、文化ははもちろん、景観も素晴らしく、遺産を回って260年沈黙を続けた潜伏キリシタンに思いを馳せた。 

 同じキリシタンでも、1612年から続いた禁教が解かれた後も教会下に入らず独自の信仰を続ける「かくれキリシタン」に対し、解禁後に洗礼を受けカトリックに復帰したのが「潜伏キリシタン」。その存在が明らかになったのが、JR長崎駅からバスで約15分の国宝「大浦天主堂」(拝観料1000円)だ。

 外国人のために1864年に建てられた、現存する国内最古のキリスト教建築物で、十字架をかかげる八角形の尖塔と白亜の壁、色鮮やかなステンドグラスが印象的。ここに1865年、15人の日本人が現れ、絶滅したと思われていたキリシタンであることを告白し、「信徒発見」と呼ばれた。以降、潜伏キリシタンが続々と信仰を表明。1873年、キリスト教解禁につながったという。天主堂横にはその様子を描いたレリーフが設置され、当時をしのばせる。

 そんな潜伏キリシタンを生むきっかけとなったのが1637年、圧政と飢饉を契機にキリシタンや農民らが天草四郎を首領に蜂起した島原・天草一揆。3万人以上が命を落としたといわれ、残されたキリシタンは潜伏して信仰を続けたという。

 主戦場となった「原城跡」(南島原市)は周囲4キロの三方を有明海に囲まれた丘陵地に広がり、本丸大手門跡や一揆軍籠城の建物跡、海の向こうを見渡す櫓台跡などが残るだけ。本丸跡にある天草四郎像は地元彫刻家・北村西望作で、四郎の墓石は民家の石垣に埋もれていたのを移したというが、その前に立つとオラショ(祈り)が聞こえてくるようだ。

 潜伏キリシタンの信仰継続を示すのが、天草市の「天草の崎津集落」だ。アワビやタイラギの貝殻内側の模様を聖母マリアに見立てて祈るなど、身近なものを信心具として代用。集落を歩くと多くの民家の軒先でしめ縄を見ることができるが、キリシタンと疑われないための工夫という。

 禁教が解かれると教会が建てられ、1934年、この地に赴任したハルブ神父の依頼で、多くの教会建築を手掛けた鉄川与助の設計施工で海沿いに崎津教会が完成。禁教期に絵踏みが行われていた庄屋宅跡に建てることで「復活の象徴にしたい」との同神父の強い希望があったというが、確かにゴシック様式の教会は凜(りん)として未来に向かっているようだった。

 ▽行かれる方へ 大浦天主堂から原城跡へはJR長崎駅から長崎本線で約30分の諫早駅からバスで約1時間半、終点乗り換え同約15分、下車徒歩10分。崎津教会へは原城跡からバスで15分の口之津港からフェリーで30分、鬼池港からバスで1時間50分。熊本から飛行機で天草空港へ約20分、同空港からバスで約50分という方法も。問い合わせは関連遺産インフォメーションセンター=(電)095(823)7650、熊本県企画振興部世界遺産推進課=(電)096(333)2154。

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