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こだわり旬の旅

【京都】敵は明覚寺にあり?信長“定宿”はこちらだった

[ 2018年2月4日 18:02 ]

誰もが圧倒される明覚寺の大涅槃図。案内役の女性が小さく見えます
Photo By スポニチ

 西郷や明治維新に絡まずとも見どころのある寺院は多い。京都駅からバスで28分、徒歩5分の明覚寺。室町時代創建の由緒ある日蓮宗寺院で、日本美術史上最大の画派・狩野一族の菩提寺でもあるが、注目は幅約4・6メートル、高さ約5・9メートルの大涅槃図。狩野派の2代目・元信が手がけたといわれ、中央にお釈迦様が横になる様子は大迫力だ。

 だが、それ以上に印象に残ったのは、本堂に展示された美濃の戦国武将・斎藤道三の遺言状(レプリカ)。織田信長に美濃を譲る趣旨の内容で、脇には補足として本能寺の変に関する明覚寺の説明書きも。それによると、信長は京都に二十数回来ており、そのうち18回明覚寺に宿泊。本能寺には3回しか泊まっておらず、その3回目に明智光秀に襲撃され、明覚寺には息子・信忠が泊まっていたという。信長がいつものように明覚寺に泊まっていたら「明覚寺の変」になっていた!?

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