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“みんなの船上”築いたリーダー“男の世界”から女性や子供まで裾野広げた 飯岡・隆正丸 芳野隆さん

[ 2022年7月11日 07:14 ]

スマホの操作も楽々とこなす芳野隆さん
Photo By スポニチ

 【あの人に会いたい】スポーツニッポン新聞社指定の釣り宿で構成する東日本釣宿連合会の幹事長を26年間にわたって務めた千葉県旭市、飯岡・隆正丸の芳野隆さんが3日、90歳になった。「卒寿」を迎え、遊漁船業界の生き字引は何を考えているのか?会いに行った。(笠原 然朗)

 見るからに好々爺(や)だ。90年の歳月がつくり出した仏の顔を芳野さんの表情に見る。太平洋戦争、高度経済成長、2度の東京五輪、東日本大震災、コロナ禍…人生いろいろあった。

 漁師の頃は2度にわたって海に投げ出され、長じては交通事故、大腸がんなど「8回、死に損なっています。なので生きているというより、生かしてもらっていると思っています」。

 全国有数のイワシ漁獲量を誇る飯岡の漁師の家に生まれた。男8人女1人の9人きょうだいの八男。尋常小学校を出て、旭農学校に進学したものの終戦などで2年で中退。以後、24歳年上の長兄が継いだ本家の「義栄丸」で舵(かじ)を握った。

 高度経済成長期真っ最中の1969年(昭44)に釣り船「隆正丸」を創業した。頼りになるパートナーは小学校時代の同級生だった妻・ちよ子さんだった。時まさに釣りブーム。予約の電話がひっきりなしに鳴る中、ちよ子さんは電話機の横に布団を敷き、昼夜問わずお客さんからの電話対応に追われた。

 同じ頃、スポーツニッポン新聞社も釣り面を設け、釣り宿からの釣果情報を掲載するようになる。東日本釣宿連合会が設立されたのは73年のこと。そして芳野さんが幹事長として100軒(当時)が所属する組織のトップに立ったのは85年。以後、遊漁船業者で知らない人はいないリーダーとして業界をけん引した。

 釣り客の裾野を広げるために、全会員宿で女性や子供の乗船料を割り引いた。当時、船釣りは“オトコの世界”だった。

 「最初はなんてバカなことをするんだ、と言われました」

 当たり前のように釣り船の船長も乗客も船上から海中にタバコの吸い殻やゴミを投棄していた時代にクリーンキャンペーンを展開。業界がそれらに追随し、いまでは海の環境や魚資源保護は釣りに携わる者全員が守るべきルールとなっている。

 2011年に幹事長職を勇退。現在は連合会や業界のご意見番として目を光らせる。そんな芳野さんがいま心配しているのは地球環境の変化だ。

 「水温が上昇し、以前のように魚が釣れなくなりました。大震災で海底の様子も変わってしまったのかもしれません」

 【長生きの秘訣(ひけつ)】

 (1)食事 自ら台所に立って食べたいものを作る。「魚を中心に野菜、根菜、豆、キノコが中心」

 (2)新聞 スポニチと千葉日報を毎日、1時間かけて精読する。「世の中のことを知ることもできるしボケ防止になる」

 (3)交流 デイサービスの施設などで「チャンスがあれば若い人と話をします。日本では孤独な老人が多いのは残念です」

 (4)外出 「家に引きこもらず、なるべく外に出るようにしています。旅行にも行きます。先日は長野県の善光寺参りのツアーに参加しました」

 【人生で一番、悲しかったこと】

 会議や各方面への折衝などで上京する機会が多かった幹事長職を退いた2011年6月、ちよ子さんが79歳で亡くなった。「亡くなる2カ月前に医師から余命を告げらました。私も暇ができるし一緒に旅行もしようと思っていたのに」  

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