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言葉の海から「名文を“拾い釣り”…」

[ 2020年5月12日 08:16 ]

川霧がたつ。絵のような光景の中から詩が生まれる
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【釣り日和】「拾い釣り」ならぬ「拾い読み」を。ゴールデンウイーク中は本棚から昔、読んだ本を取り出してはページをめくる。釣りと文学は相性が良い。言葉の海からエピソードや珠玉の名文を釣り上げてみた。 (笠原 然朗)

 釣り文学の最高峰だろう。文豪・開高健「フィッシュ・オン」だ。中学校時代に小説「日本三文オペラ」を読んで以来、私淑している作家だが、作品を読み重ねると、その文章の“粒立ち”ぶりに鳥肌が立つことがある。

 たとえば同書の「アイスランド」の章。ラクサ川でサケの「毛鉤(けばり)竿」を振っている釣り人に出会う。手だれの釣り師だが、釣れない。

 「もし彼がツイていたら、指揮者がタクトをふりおろした瞬間に音楽が湧きあがるように、糸が落ちたその瞬間に川が水しぶきたてて炸裂(さくれつ)するはずであるが、まだ起こらない」

 情景が、音が浮かんでくる名文だ。

 文豪つながりで井伏鱒二の随筆・短編小説集「川釣り」。釣りを、人をユーモラスに語っている。「手習草子」の「湯河原沖」の章。福田蘭童と釣り、食い、飲む。

 福田は尺八演奏家で随筆家。釣りや料理に通じた奇才でもある。

 釣り談議の中で井伏らに福田は「餌釣りでアユを200匹ぐらい釣る方法がある」という。「餌は?」。福田は詳しく教えてくれない。答えは「川にいる肉の赤い生物」。結局、餌が何なのかわからない。アユ釣り師ならピンとくる“アレ”かもしれない。

 山岳小説で人気があった太田蘭三も釣り人だった。

 小説「聖職の碑」「孤高の人」など真面目に山と人を書いた新田次郎と違って、お色気アリの通俗的なタッチにも魅力があった。

 「浪人釣り師今昔」はそんな彼の釣りエッセー集だ。

 「処女の髪で釣るタナゴ」の章。江戸時代の文献で「未通女(むすめ)の髪の毛」でタナゴを釣るのが「とくによし」の記述を見つける。早速、行きつけのバーのホステスから得たものと中学3年生の娘の髪の毛で釣り比べてみたら釣果に「ほとんど遜色がなかったのである」。

 この話を聞いた釣友が高校2年生の娘の髪の毛で試したらプツプツ切れた。オヤジは「おれの大事な娘は…」と嘆く。うまい、うますぎるオチだ。

 3代目三遊亭金馬も釣り好きだった。

 講談出身で、やたらと滑舌が良く、「アンコウのようなもの」のフレーズが有名な「居酒屋」などで人気があった。

 「江戸前の釣り」で縦横無尽にウンチクを傾けている。

 山中湖で氷上ワカサギ釣り。「氷の上にいると、ときどきビリビリと大きな音がする。初めての人は氷が割れたのではないかと心配するが、土地の人は、氷がしまったという」。地球温暖化のせいか、山中湖も氷結しなくなった。金馬が亡くなったのは1964年(昭39)。享年70。東京五輪の年だった。

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