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望み望まれ跡取り娘 “人生”という名の船に乗り…

[ 2018年6月21日 07:11 ]

「船に乗っているときが一番、自然に父と話ができる」と綾香。裕二の信頼も厚い
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 【シリーズ親子船】風光明媚(めいび)な神奈川県小網代湾でつづられる父と娘の物語。親子ってなんだ?家族って?きょうだいって?それは“人生”という名の海をいく船に乗り込んだクルー。(笠原 然朗)

 丸十丸の看板娘、綾香は女3人、男1人の4人きょうだいの長女。東京海洋大学海洋政策文化学科3年生。釣り船業って?

 綾香「幼稚園のころから将来は船頭になるって思っていました。釣りが好きで、海が好きで、大人と対等に話ができるのは釣っている時。後を継ぐのは自然なこと」

 裕二「後を継ぐのは全然OK。とてもうれしい。仲乗りとして船に乗ることもあるけど、いまだって十分、使える」

 全国でも女性の船長は珍しい存在だけど…。

 綾香「未知の領域に進むことはワクワクします」

 裕二「すぐ戻って来いということではなく、大学を卒業して、別の仕事を経験してからでもいい」

 綾香「父は私が戻って来るまで“俺がここを支えているから”って言ってくれます」

 裕二「腰も悪いし、本当は早く帰ってきてほしいな、と思ってる」

 綾香は、“釣り名人”として子供のころから釣り番組はもちろん、バラエティー番組まで出演経験も豊富だ。

 裕二「“ステージパパ”というかマネジャー役をやりましたね。自分の娘を磨き上げ、有名にしていくために。釣りの世界に女性の進出を促すという目的もあった。でもいまはスタミナも気力も往年の半分」

 綾香「大学生になったら、そんな父が煙ったく感じられるようになったんですよ」

 初めて親元を離れ3年間、大学のある東京で一人暮らしをした。

 綾香「東京の生活は苦痛でした。人混み、ビルだらけ、空が狭い、夜が明るい。小網代は本当にいいところ。私が帰る場所はここなんです」

 裕二「自然児だったのがビルのジャングルで生活するようになったからね」

 綾香「離れてみて父がいろいろと支えてくれていたんだなということが分かりました」

 裕二「寂しかったですよ。手伝ってほしくて電話すると、“忙しいの、テストで”って。ネコの手じゃなくて足も借りたいときに…」

 船長という仕事をする上で不安は?

 綾香「大学で所属しているゼミの研究テーマは“沿岸域環境管理”。知識を得ることはできるけど、現場のことを学んでいるわけじゃないから父から教わることはたくさんあります」

 裕二「船を着岸させるのは下手だけど、俺の娘だもん。船に乗ればいきなりできると思うよ。いまはGPSとか機械も発達しているしね。舞台は用意してある。あとはそこに上がる女優だけ」

 綾香に結婚と理想の男性像について聞いてみた。

 綾香「いずれ将来は結婚したいと思います。理想の男性は父?母の姿を見ているから、それはないかな。でも父は凄い家族思い。ガッツもある。明るい性格で、いつも家族を楽しませてくれる。結婚するなら楽しい人がいいですね」

 裕二「(結婚相手は)誰だっていいよ。元気で気が利く人なら」

 綾香「あと晩酌に付き合ってくれる人だよね」

 ▼釣況 東日本釣宿連合会所属、小網代・丸十丸=(電)046(881)0100。

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