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聞きたい夫と息子の「ありがとう」 義母と両親の介護で忙しい日々 福浦・よしひさ丸 高橋典子さん

[ 2018年5月14日 07:01 ]

2000年から活躍する船と高橋典子さん                        
Photo By スポニチ

【釣り宿おかみ賛】マダイ釣りの老舗、神奈川県福浦・よしひさ丸。女将の高橋典子さん(51)は、実の両親と義母3人の介護をしながら女将業や仕事に忙殺されている。結婚20年。救いの手を差し伸べてくれない夫で当主の稔さん(57)への憤まんを打ち明けた。(入江 千恵子)

 稔さんの父・嘉久さんが生前、言った言葉を、典子さんは思い出すことがある。

 「稔は船の上では120点だけど、陸(おか)に上がるとマイナスだからなぁ」

 現在、介護や仕事を抱え多忙な日々を送る典子さんは、嘉久さんが言ったことは「当たっていた」と思う。

 1967年(昭42)1月、典子さんは神奈川県小田原市で生まれた。地方公務員で長男の父と、小田原競輪場で働く母、3歳違いの兄、祖父母や父のきょうだいと合わせて12人の大家族だった。

 父は短気だったが、母は我慢強く、祖母から身に覚えのない責任を押しつけられても耐えていた。曽祖母のおむつを洗う手は洗剤で荒れていたが、真冬でも冷たい水で洗っていたのを覚えている。

 高校卒業後は大手書店チェーンの有隣堂に就職し、藤沢店で在庫管理や接客を担当。23歳の時に職場結婚したが、27歳で離婚。その後、本社で仕事を続け、30歳の5月、友人と遊んでいた時に出会ったのが釣り船の船長をしていた稔さんだった。だが初デートの待ち合わせ場所で2時間も待たされ「あとで知ったんですが、車のバッテリーが上がって大変だったみたい」。さらに「車に乗るときは“お邪魔しますくらい言え”って言われたんです」。だが今まで会ったことがないタイプで「面白かったんです」。

 バツイチだった稔さんは、モテた。だが典子さんを気に入ってくれた嘉久さんや周囲の勧めもあり、出会いから4カ月で結婚。翌年5月に長男の勝久さん(20)が、2年後には次男・茂道さん(17)が誕生した。

 接客に慣れていた典子さんは、お客さんとの会話や集金も難なくこなした。だが稔さんは女将が他にどんな仕事をするのか何も教えてくれなかった。餌の作り方は、嘉久さんが作っているのを見て覚え、現在は典子さんの仕事になっている。

 現在は同居する認知症の義母、実家にいる認知症の父、先月、再び脳梗塞で倒れた母の介護をしている。

 「おかあさん(義母)は家の床に汚物を落とすのもしょっちゅう。でも、片付けるのはいつも私だけ」。週1回、独身の兄と同居している両親のところに行き掃除と洗濯をして、1日ごとに下着と着るものを袋に詰め、8日分を用意する。

 不漁続きだった15年秋から、稔さんの勧めで仕事も始めた。障がい児が放課後に通うデイサービスで、仕事と家事を終えて自分の時間が取れるのは夜10時を過ぎてから。分刻みのスケジュールをこなしている自分に対して、どうしても稔さんが何もしてくれていないように思えてしまう。

 インタビューは、いつしか3時間を超えていた。「明日の朝まで話せるくらい、いろいろあります」と典子さんの“ダメ夫”評は尽きない。「将来どうしようか…」とため息をつく典子さんに、2人の仲が心配になった。

 インタビューも終盤、典子さんが稔さんに望んでいるのは高価なご褒美でも休日でもないことが分かった。

 「“ありがとう”って、ほんの一言だけでいい。稔くん(典子さんは夫のことをこう呼ぶ)や勝久が(今の私を)認めてくれると頑張れるんですけどね」

 まだ、間に合いますよ。稔さん、勝久さん。

 ▼釣況 東日本釣宿連合会所属、福浦・よしひさ丸=(電)0465(63)3884。

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