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【全国ジャケ食いグルメ図鑑】雑然調和の意気握り

[ 2016年10月28日 12:00 ]

東京・大久保の「榮寿司」
Photo By スポニチ

 人気ドラマ「孤独のグルメ」の原作者、久住昌之さんが外観だけで店選びをする「全国ジャケ食いグルメ図鑑」。おのれの眼力だけを信じて知らない店に飛び込み、うまい店を見抜く力を鍛える“ジャケ食い道”の中でも、入るのに勇気がいるのが寿司店。多国籍タウン、東京・新大久保で見つけた「榮寿司」。看板のうたい文句に“意気”を感じ、入ってみると――。

 新大久保は今や日本とは思えないくらい外国人だらけだ。それもアジア系から中近東系までいろいろな国籍の人がいて、彼ら専門の食材店もできていて、店の中を見ると日本とは思えない雰囲気だ。

 さて、そんな商店街を抜けたところにあったこの寿司屋さんだ。路地の角に入り口があり、この地にしっかり根をおろしたような貫禄がある。が、決して高級店的な気取りはない。「庶民」という言葉を清流で洗って干したような白い暖簾(のれん)が「お気軽にどうぞ」と誘っている。

 しかし、ジャケット(店構え)を鑑賞していると、看板の上の彫像が目についた。真ん中はボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」のようだ。左右はソクラテスとかプラトンの顔のようだ。左の顔の上にもヴィーナス的な女性裸像がある。美術の授業の石膏(せっこう)デッサンを思い出す。これらは何を意味しているんだろう?その間に植物プランターがあって赤い花が咲いていたりするが、意外にそれが自然な感じに電飾看板となじんでいる。出前のスクーターもノスタルジックな店の飾りになっている。鉢植えも手入れが行き届いている。

 路上看板に「味と意気で売る店」と書いてある。いいじゃないか、いいじゃないか。気候のせいもあるが、戸口が開け放ってあって、中が見えるのも安心。誰の紹介も、なんの情報も見ずに、初めての寿司屋に入るのはなかなか勇気がいるものだが、ちゅうちょせず入ることができた。

 「いらっしゃい!」。店主らしい年配の男性がカウンターの中からハリのある高い声で言った。店員はカウンターの中にもう一人中年男性、そしてホールにおばちゃんという、小さな寿司屋の典型的体制。L字カウンターには、お茶を飲みながらちらし寿司を食べている男性客と、中年カップル。ボクがカウンターの席に着くと、店主は「イヤッ!」とも「イヨッ!」とも聞こえる鋭い声を上げた。これが「意気」なのかと思ったら、面白くなってきた。

 おしぼりで顔を拭き「瓶ビールください」と言うとまた「イヤッ!」。この瓶ビールの冷え加減が、冷やしすぎる直前のキンキン。昼間暑かったせいもあって、うまいのなんの。お通しに出てきたキュウリとわかめともみじおろしを添えたあん肝もおいしい!

 「何かお刺し身でも作りましょうか」「あ、そうしてください」「イヤッ!」。いちいち意気を込めた声が、空気をつんざく。カウンターから見える主人の包丁さばきが見とれるようだ。店内を見回すと、モネやゴーギャンの複製が張ってあり、やっぱり美術系なのかな、と思ったのもつかの間、関取と撮った写真があったり、外国人のスナップ写真が貼ってあったり、千社札やお祭りの熊手があったり、カブトガニの剥製があったり、羽子板もある、ガマガエルもいる、おっとでっかい男根崇拝の木彫。しかし雑然とはしているが、全然汚くない。むしろ親戚のおじさんの家に遊びに来たように居心地よく、いちげんの客のボクを緊張させない。

 イカ、中トロ、とり貝、赤貝の刺し身はおいしかった。ネタをのせたゲタが、積年のタワシ洗いによってか、角が全部丸くなっていて、ちょっと感動。酒をもらう。銘柄が2種類しかないのが今どき潔い。久保田をもらったら、大きなグラスになみなみ出てきた。

 天ぷらを揚げる音がしてきたので、出前でもするのかと思ったら、隣のカップルが食べ始めた。穴子、小海老(えび)、サツマイモ、大海老。量が多い。ここ、寿司屋だぜ。常連だろう。

 団体客が来るような話が店員同士の会話に聞こえた。すると店主が「イヤッ!」と手拭いをキリキリと絞ってハチマキにした。いい光景だ。サラリーマン客がぞろぞろと入ってきて奥の座敷に入っていった。

 するとあっという間に大皿二つの刺し身盛り合わせができあがった。それが美しい!やはり美意識が高い主人なのだろう。年歳は取っているが眼光鋭く、動きに無駄がない。シワ深く目のくぼんだその横顔は、高村光太郎の木彫のようだ。柄のダボシャツの左ひじがなぜか破れている。それまでカッコよく見えてきた。「イヤッ!」。まねしたくなった。

 マグロ、イサキ、小肌、しめサバを握ってもらったが、ネタが大きめで、どこか昔懐かしいおいしさの寿司だった。非常に満足して店を出た。出るとき見たら握りの梅は1000円。ランチはチラシが800円のようだ。安い!ジャケットを裏切らない、庶民の味方のイイ寿司屋だった。ジャケ食い、アタリ。

 ◇榮(さかえ)寿司 創業55年。看板の上に彫像が飾ってある理由を聞くと「この辺は多国籍だからね」と店主。海外旅行好きで美術品収集が趣味といい「ジャズも好きだよ」と付け加えた。おすすめの一品は煮穴子。新宿区百人町2の6の3、JR新大久保駅から徒歩3分。(電)03(3361)1217。営業は午前11時30分~午後2時、午後5~11時。火曜定休。

 ◆久住 昌之(くすみ・まさゆき)1958年、東京都生まれ。漫画家、漫画原作者、ミュージシャン。81年、和泉晴紀とのコンビ「泉昌之」として月刊ガロにおいて「夜行」でデビュー。94年に始まった谷口ジローとの「孤独のグルメ」はドラマ化され、新シリーズが始まるたびに話題に。舞台のモデルとなった店に巡礼に訪れるファンが後を絶たない。フランス、イタリアなどでも翻訳出版されている。

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