旅・グルメ・健康

【さくらいよしえ きょうもセンベロ】能ある“ヒゲ”は“ヒゲ”を呼ぶ

[ 2019年2月8日 12:00 ]

店の前で笑顔を見せる(左から)平山浅一郎さん、大二郎さん、忠成さん、正枝さん(撮影・木村 揚輔)
Photo By スポニチ

 東京の下町、江東区住吉。不思議な店名に引かれてのれんをくぐったセンベロライター・さくらいよしえ。「ひげの平山」には親子でいまに伝える“ヒゲ伝説”があった。

 能あるヒゲは、能あるヒゲ弟子を呼ぶのだろうか。

 「ヒゲ(の名店)といえば、うちよ。私のヒゲはほぼ枯れてるけどサ」と笑うのは半分ご隠居の創業者・忠成。

 一方、焼き場で黙々と串を返す五十路の息子、大二郎のヒゲは、良い具合に青さを失い偶然にもダンディズムを醸している。

 絶品の焼き鳥と“元祖”レモンサワーで知られる住吉の「ひげの平山」。

 創業は50年前。当時、忠成は保険会社のサラリーマンを辞め、実家の燃料屋を継いでいた。しかし炭が売れない夏場は商売上がったり。そんなある日、商店街で移動式の焼き鳥屋台を見かけ、「こりゃいい、資本金ゼロでできるぞ!」と思い立つ。

 でも焼き鳥は未経験。そこで訪ねたのが、千葉県佐原の焼き鳥名人として名をとどろかせていた「ひげの三平」だった。

 その頃、幼かった息子、大二郎の証言によると、「キジとサルを放し飼いしている桃太郎みたいなヒゲの男がいた。恐ろしかった」

 門前払いを食らうと思われたが、忠成がワイシャツの襟に挟んである厚紙で手作りした名刺をうやうやしく差し出したところ、三平の心にストライク。

 見事一番弟子となり、奥さまと代わる代わる週1で3年間通い修業に励んだ。

 夫婦二人三脚。燃料屋の軒先から始まった持ち帰り専門の焼き鳥屋台だが、やがて酒好きな忠成は、串を焼きながらこっそり酒を飲むのが日課に。

 「ただの焼酎じゃうまくないから、レモンを丸ごと搾って炭酸と割ってね」

 すると客が、「親父、ここで飲めんのかい。90円払うからそれ俺にもくれよ。…これ、うめえ!」

 こうしてその頃どこにもなかった“レモンサワー”は、酒屋に商標登録を勧められるほどバカ売れ。ヒゲ弟子居酒屋がめでたく誕生したてん末である。

 そして今夜。テレビの大相撲中継に座布団を投げんばかりにご機嫌で酔いどれる大勢のヒゲシンパ。

 肉厚なガツ刺しにぷりぷりのコブクロキムチ。師匠三平から引き継いだ秘伝だれをまとったつくねやカシラが口の中で甘辛くとろけ、淡麗なレサワが伴侶のごとく引き立てる。

 しかしわしは品書きの中で、さりげなく主張する「刺し身」と「焼き魚」に気づいた。煮付けにぶり照焼に〆さばも。他店で、魚料理を学んだ2代目・大二郎の時代が始まろうとしている。彼が今一番欲しいのは「お嫁さん」とか。ナイスミドルの新たなヒゲ伝説を応援したい淑女、求む。(さくらい よしえ)

 ◆ひげの平山 平山忠成さん(75)、正枝さん(73)夫妻、長男の浅一郎さん(54)、大二郎さん(51)の家族4人で店を切り盛りする。創業50年、老舗のカウンター席は地元の常連さんで埋まる。落語家の笑福亭鶴光もよく訪れる。「三平」からレシピを受け継ぎ、つぎ足しつぎ足しで守り続けている秘伝のタレで焼いたモツ焼きに爽やかな元祖レモンサワーやトマトを丸のままミキサーで搾った生とまとハイがよく合う。ホッピー党垂ぜんの生ホッピーもある。東京都江東区毛利1の9の5。(電)03(5624)0897。営業は午後5時から0時。日曜定休。

 ◇さくらい よしえ 1973年(昭48)大阪生まれ。日大芸術学部卒。著書は「東京★千円で酔える店」(メディアファクトリー)、「今夜も孤独じゃないグルメ」(交通新聞社)「きょうも、せんべろ」(イースト・プレス)など。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る