“知の巨人”立花隆さん 4月に亡くなっていた 80歳 「田中角栄研究」で斬り込み退陣に追い込む

[ 2021年6月24日 05:30 ]

2002年、本紙インタビューに答える立花隆さん
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 田中角栄元首相の金脈問題を雑誌で追及して退陣に追い込むなど、戦後ジャーナリズムに大きな足跡を残した評論家でジャーナリストの立花隆(たちばな・たかし、本名橘隆志=たちばな・たかし)さんが4月30日午後11時38分、入院先の病院で急性冠症候群のため死去していたことが23日分かった。80歳。長崎市出身。宇宙や脳死からサル学まで多彩な著作を手掛け「知の巨人」として知られた。

 立花さんは東京大仏文科を卒業後、文芸春秋に入社し、雑誌記者などを経て2年余りで退社。週刊誌アンカーマンなどとして活動し、1974年10月、田中首相(当時)を巡る資金の流れと蓄財を綿密に調べた「田中角栄研究」を月刊誌「文芸春秋」に発表、田中金脈問題に斬り込んだ。

 スタッフ約20人の取材を指揮し、出版社の仮眠室に1カ月間ほぼ泊まり込み。相手は日本列島改造論を掲げて「今太閤」ともてはやされた最高権力者。当時、暴力や死の危険を感じたというが「ライターの仕事を失っても食べていける」と覚悟を決め屈しなかった。田中内閣は2カ月後に総辞職した。

 その後、政治評論や最前線の科学などの分野で多彩な著作を発表し「知の巨人」と呼ばれた。2007年には、ぼうこうがんの手術を受け、月刊誌に闘病記を連載した。

 「知の巨人」には「ネコ好き」という意外な一面もあった。仕事場は、外壁に3メートル大のネコの顔が描かれた東京・小石川の「ネコビル」。観光名所にもなっていた。書庫も兼ね、20万冊ともいわれた本に囲まれたこの場所から、濃密な著作を世に出していった。

 書斎にこもっている印象がある一方、積極的に対談番組などにも出演。田中金脈問題追及など、ジャーナリストとしてともに歩んだ故筑紫哲也さんがキャスターを務めていたTBS「ニュース23」にはよく出演。ロック歌手の故内田裕也さんが「平凡パンチ」(88年廃刊)に連載していた名物コーナー「ロックン・トーク」に登場したことも。好奇心旺盛な面を見せていた。

 「スタジオジブリ」とも親交があり、中学生の少年少女の初恋を描いた宮崎駿氏製作のアニメ映画「耳をすませば」(95年公開)で声優に初挑戦。少女の父親役で、とつとつとした口調に宮崎氏は大喜びだったという。また、俳優の故梅宮辰夫さんとは水戸市内の同じ中学校でともに陸上部だった。09年にはNHKの番組「旧友再会」で母校を訪問し、梅宮さんと楽しそうに昔話に花を咲かせていた。

 調査報道、雑誌ジャーナリズムで頂点を極めた立花さんだが、その素顔は親しみやすく、広くお茶の間で愛された。

《田中真紀子氏は首相に?「人格改造などすれば…」》立花さんは本紙のインタビューにも応じていた。田中元首相の娘で元外相の田中真紀子氏を追った「『田中真紀子』研究」を出版した2002年8月。真紀子氏が公設秘書給与の流用疑惑の責任を取る形で議員辞職した2日後のインタビュー。立花さんは「次の選挙には必ず再出馬する」と断言した。その理由を「辞職当日の会見から、政界からきっぱり身を引くというニュアンスは全く感じられなかった」と語っていた。
 実際、真紀子氏は翌年の衆院選で復帰した。真紀子氏が首相になれるかについて立花さんは「人格を改造するなど、ひと皮、ふた皮むければ可能性はある」と話していた。

 ◇急性冠症候群 心臓に近い冠動脈にできた動脈硬化性のプラーク(脂質の塊)が破裂し血栓が形成され、冠動脈の血流が減少あるいは途絶して起こる。血液供給が2~3分以上にわたって大きく減少するか遮断されると、心臓の組織が壊死(えし)する。

 ◆立花 隆(たちばな・たかし)1940年(昭15)5月28日生まれ、長崎市出身。幼少時に一家で中国に移住し、終戦後は父の郷里の水戸市で少年時代を過ごす。東大仏文科を卒業後、記者を経験して東大哲学科に学士入学。著書は「脳死」「巨悪VS言論」「青春漂流」「中核VS革マル」など多数。79年に「日本共産党の研究」で講談社ノンフィクション賞、14年に「読書脳―ぼくの深読み300冊の記録」で毎日出版文化賞など文学賞も数多く受賞。

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