メキシコ五輪銀・君原健二さん、円谷幸吉さん故郷で聖火ランナー“2人でつないだ”トーチの炎

[ 2021年3月28日 05:30 ]

福島県の聖火リレーで、手を振って走る君原健二さん(撮影・光山 貴大)
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 東京五輪の聖火リレーは27日、福島県で3日目が実施され、第5区間の須賀川市の最終走者を、1968年メキシコ五輪男子マラソン銀メダルの君原健二さん(80)が務めた。須賀川市は、現役時代に同級生でライバルだった64年東京五輪銅メダルの円谷幸吉さん(享年27)のふるさと。君原さんは円谷さんの写真を首からさげ“2人”で聖火をつないだ。

 聖火を高々と掲げ、君原さんが駆けた。80歳の今もなお週3回は6キロを走るマラソン界のレジェンドは、沿道からの拍手に笑顔で応え、完走後は深々と一礼。「無事に務められてよかった。五輪のときのように感動しました」と言葉を詰まらせた。

 君原さんは福岡県北九州市出身だが、ランナーとして選んだのは円谷さんの生まれ故郷。メキシコ五輪開催年の68年1月に「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と遺書を残して命を絶った戦友に思いをはせた。「円谷さんと一緒に聖火を届けたい」。東京五輪での円谷さんの雄姿の写真を身につけて走ることを決めた。しかしこの日、荷物の中に写真を入れたままスタートラインに向かうというハプニング。「諦めかけましたが、息子が直前に持ってきてくれました」。首からさげた写真をシャツの中に忍ばせて、200メートルのコースを一歩一歩踏みしめた。

 円谷さんの兄・喜久造さん(89)は「幸吉が死んでからも付き合いがあり、もう60年以上。友情ですね」と語る。君原さんは81年から始まった「円谷幸吉メモリアルマラソン」に89年から出場。レース後に欠かすことのない円谷さんの墓参りでは、ビールを半分墓にかけ、残りを自分で飲み干すことが恒例となった。東京五輪直前の夏、札幌で行われた1万メートルの記録会で2人そろって日本記録を更新し、ビールで祝杯を挙げた。「当時はビールは週に1回1本。なのにその日は4本も飲んでしまった。相当うれしかったんでしょうね」。色あせることのない記憶が、今も2人をつないでいる。

 この日の朝も円谷さんの墓参りに訪れ、350ミリリットルの「サッポロビール」を2人で分け合った。「円谷さんは自分にとって、かけがえのない存在。一緒に走り、希望の道をつなぐことができました」。またひとつ、2人の思い出が紡がれた。(小田切 葉月)

 ◆円谷幸吉さん 須賀川高を経て陸上自衛隊に入隊し、62年に自衛隊体育学校に入校。当初はトラック選手とみられていたが、東京五輪開催年の3月にマラソン初挑戦で優勝して頭角を現す。マラソン経験7カ月での五輪出場は今も男子最短。本番は3位で、戦後日本の五輪マラソンに初のメダルをもたらした。1万メートルも6位入賞。メキシコ五輪での金メダルを誓ったが、持病の腰痛が悪化。「父上様、母上様、三日とろろ美味(おい)しゅうございました」の書きだしで始まる遺書を残しての自殺は世間に衝撃を与えた。

 《シューズは復刻版》この日、君原さんが履いたシューズは、東京五輪で実際に使用したものの復刻版。次男でスポーツ用品大手「アシックス」に勤める嘉朗さん(49)が「円谷さんとの絆は特別。当時のシューズを履いて走ってほしい」との思いから実現させた。君原さん自身も満足の出来のようで、嘉朗さんは「朝出発するときから履いていこうとしてたので止めました」と明かした。

 《地元・相沢にエール》須賀川市で生まれ育った東京五輪男子陸上1万メートル代表の相沢晃(23=旭化成)について、君原さんは「素晴らしい選手が出てきてくれた」と笑顔で話した。相沢は次代の円谷育成を目指す「円谷ランナーズ」出身。24年パリ五輪にはマラソンで出場を目指すことを表明している。君原さんは「円谷さんの遺志を継いで、実現してほしい」とエールを送った。

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