釜石で300以上の遺体検案…涙こらえ医師の責務全う「手を止めちゃダメだ。そんなヤツは医者じゃない」

[ 2021年3月6日 05:30 ]

東日本大震災から10年 あの日あの時3.11(6)

東日本大震災の時、釜石市で被災遺体検案を行った医師の小泉嘉明さん
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 発生から10年を迎える東日本大震災の記憶と教訓は、いかに受け継がれているのか。被災地ルポ「あの日 あの時」第6回は、岩手県釜石市で300以上の被災遺体を調べた医師の小泉嘉明さん(75)。地元医療が一丸となって立ち向かった経験が、新型コロナウイルス対策にも生かせると信じています。

 釜石医師会の会長も務める小泉さんは今、新型コロナのワクチン接種の実施に向けた打ち合わせで多忙な日々を送っている。「震災10年を振り返っている暇もない。ワクチンがいつ、どれだけの量で来るかも分からないから、いろんなケースを考えて準備だけは進めなくちゃいけない」。医師として目の前のことに全力で向き合う。その姿は10年前と変わっていなかった。

 あの日は自身の「小泉医院」で診療中だった。揺れは凄かったが建物に損傷はなかった。ただ約2キロ離れた市の中心部で死者が出たと人づてに聞いた。夕方になって県警職員から、事件性のない遺体の死因や死亡時刻を医学的に判断する「検案」の依頼が来た。検案は警察所属の医師が行う場合が多いが、規模の小さい釜石警察署では小泉さんが担当していた。依頼は「いつものことだ」と思ったが、停電でテレビがつかず、当時ラジオで耳にしたのは隣の宮城県の被害ばかり。釜石の被害状況が分からないのが不安だった。

 翌朝、検案をしに向かった遺体安置所、釜石二中跡の体育館に到着すると、遺体が自衛隊のトラックの荷台に乗って次々と運ばれてくる異様な光景を見た。検案開始までに20体以上並んだ。「一度にこれほどの検案をしたことはない」と驚いたが、県警の担当者から「まだまだ来ます!数百人…いや1000人を超えるかも」と聞き、がくぜんとした。釜石はどうなってしまったのか――。暗く冷え込む館内で、ひたすら遺体と向き合う日々が始まった。

 運ばれた遺体はまず泥を洗い流した後、身元を確認しやすくするため、財布や免許証などの所持物、髪形や傷痕など体の特徴を細かく確認。遺体の口や鼻の中から黒い砂が出てきた。津波に襲われた際にのみ込んだのだろう。開けたまぶたからも出てきた。胸部を押すと、気管や肺に詰まった水が口からあふれ出した。溺死だ。

 遺体安置所は日を追うにつれて訪れる人が増えた。「行方不明者の家族は生きていることを願って最初は避難所に行くが、徐々に諦めて安置所に来るんです」。遺体を一つ一つ見て回っていた家族が足を止め、突然おえつを漏らす。そんな胸が詰まる場面の連続だったが、小泉さんは黙々と検案を続けた。「悲しみにつられて手を止めちゃダメだ。そんなヤツは医者じゃない」。自分が検案書を書かなければ、遺体は家族の元に帰れない。火葬も埋葬もできない。使命感があふれそうな涙を止めていた。

 遺体の中に知人を見つけることもあった。「長いこと釜石に住んでるからな。友人もいっぱい見た。“オメ、なんでここにいんだよ!津波が来たら高台に逃げるのが釜石の人間の常識だろ!”と怒鳴りたくなることが何度あったか」

 3月末までの約2週間で300体以上を検案。4月以降は県外の大学病院のチームが検案を担当することになり、小泉氏ら町の医者は復興作業や医院の仕事に戻った。

 当時について「地元の医師会と歯科医師会、薬剤師会の意思疎通がスムーズで、周りを見ながら自己判断でうまく動いてくれた。バラバラで動いているようでいて、勝手じゃないんだよ」と連携の大切さをかみしめている。それぞれの医師が同じ方向を見て責務を全うできたのは、医師としての使命感にほかならない。

 連日の会議で行った密な情報共有は、安置所での検案や身元特定だけでなく、被災現場のニーズに合った医療提供に役立った。医療器具や薬剤などが素早く調達され、多くの市民が救われたとの手応えがあった。

 未曽有の大震災で得た経験は、今世界中で起きている未知のウイルスとの闘いにも生かせると信じている。「緊迫した現場で強めた連携は、新型コロナのワクチン接種でも絶対に役立つ」。今も目の前にある難局に挑んでいる。(岩田 浩史)

 ≪今も釜石市民152人行方不明≫釜石市では、旧釜石二中と旧小佐野中、紀州造林工場跡の計3カ所に遺体安置所が設けられた。市内で収容された遺体は888体。中には現在も身元の特定に至らないものもある。2018年8月には身元不明の10体の遺骨が、市内にある大平墓地公園内に建設された納骨堂に納められた。

 一度は検案を離れた小泉さんだが、11年6月以降は再び担当に戻った。運ばれてくる遺体の数は減ったが、腐敗や損傷が進んだものが増えており「身元の特定は簡単にできないものばかりだった」と振り返る。市では、遺体も見つからず行方不明のままの人がまだ152人いる。小泉さんは「みんな家族の元に帰れたらいいんだがな」と願っている。

 ≪全国では2526人が行方不明≫東日本大震災では主に津波が原因で全国で1万5899人が亡くなった。警察庁のまとめでは発生翌日の2011年3月12日に全国で741人だった行方不明者は日を追うごとに増加。28日には1万7649人に上った。死亡や生存が確認され、12年3月10日には3155人に減少したが、年々身元が特定される人数は減り続け20年は3人のみ。2月10日時点でが分からない。

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