東日本大震災から10年…焦げた上履きとクレヨンが愛梨ちゃんの生きた証

[ 2021年3月1日 05:30 ]

焼け焦げた上履き右側の中央に付着したピンクの生地は、3年間使った母手作りの上履き袋の裏地だった(撮影・安田健二)
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 国内史上最大規模のマグニチュード9・0、最大震度7を記録した東日本大震災。11日で発生から10年を迎える。全国の死者1万5899人という戦後最悪の大災害。その記憶と教訓は、いかに受け継がれているかを追ったスポニチ本紙記者の被災地ルポ「あの日 あの時」。第1回は、津波による火災で6歳の愛娘を亡くした母が今も大切にする、黒焦げの上履きとクレヨンです。

 焼け焦げた1足の小さな上履き。指先で触れたら今にも崩れそう。元々は水色だった。けれど色は猛火によって失われた。幼稚園でお絵描きに使った16色のクレヨンはケースとともに焦げて変形し取り出せない。「娘が最後に持っていた物で残ったのはこの2点だけでした」。宮城県石巻市の佐藤美香さん(46)が口を開いた。

 長女の愛梨ちゃん(当時6)が通っていた日和幼稚園は石巻市の高台にあった。園舎にとどまってさえいれば助かった。だが地震直後、「早く親元に帰したかった」という園側の判断で、自宅が園舎より山側だった愛梨ちゃんら5人は、いつもの山側ルートではなく海側ルートのバスに乗せられた。12人に満たない時は、1台のバスで送迎されることになっていた。このことを保護者は知らされていなかった。

 バスは海側へ向かい、この間7人が保護者らに引き渡された。その後、車内に残った5人が渋滞にはまり津波に巻き込まれた。沿岸部の門脇町・南浜町合わせて約1800世帯が流出。4500人が暮らした一帯は瓦礫(がれき)の山と化した。

 「困っている子がいたら、そっと手を差し伸べる優しい子。(3歳下の)妹の珠莉の面倒をよく見てくれた」と、美香さんは昨日のことのように思い出す。

 助かった園児から当時の車内の様子を聞いた。津波が迫り、けたたましいサイレンが鳴り響く中、愛梨ちゃんは「大丈夫だからね」と泣きじゃくる他の園児を励ましていた。♪ありがとうって伝えたくて あなたを見つめるけど――。卒園式で歌うはずだった、いきものがかりの「ありがとう」を口ずさみ、みんなを安心させようともしていた。「大人でも震えるほど怖いのに小さな体でどれだけ我慢していたか。とっさに“みんなを元気づけなきゃ”と思ったんじゃないでしょうか。太陽のように明るい子でしたから」

 地震発生後、園と連絡が取れなくなりバスの居場所は分からない。美香さんは夫や他の保護者と歩いて捜し回るしかなかった。3日後の3月14日。焼け焦げたバスの近くに、変わり果てた遺体が重なるように横たわっていた。最後までバスに乗っていた5人の園児だった。

 愛梨ちゃんの顔は分からなくなっていた。下半身は燃えて失われ、手も肘から先がない。クラスで2番目に大きかった体は、赤ん坊ほどに小さくなっていた。かすかに風が吹くと、ボロッと崩れた。亡きがらを抱きしめることさえかなわなかった。

 「ようやく会えたね。一緒におうちに帰ろう」。声を振り絞った。一刻も早く連れて帰りたかった。だが検視のため運ばれたのは遺体安置所だった。亡きがらは「Aの○○番」。せめて名前で呼んでほしかった。

 死因は溺死ではなく焼死。津波に襲われた現場周辺は約10時間後に火災が発生した。この間、周辺を捜索した住民は暗闇の中で「助けて」と叫ぶ子供の声を聞いている。「津波で亡くなったとは考えにくい」。見渡す限りの地獄の中、小さな体でどれだけ懸命に助けを待ち続けたかと思うと今も胸が苦しくなる。

 焼け焦げた上履きが現場で見つかったのは約1カ月ほど過ぎた頃。年長になってから新調したもので、大好きな水色を自分で選んだ。4月から通うはずだった小学校のランドセルも水色だった。
 片方の靴には焼け焦げた上履き袋の裏地が付いていた。ピンクのチェック柄。美香さんの手作りだった。入園から3年間、持ち帰ってきては上履きと一緒に洗ってあげた。靴は原形をとどめていなくても、愛梨ちゃんの持ち物だとすぐ分かった。

 10年たつ今も、園側に求めている「心からの謝罪」はない。遺族側は11年8月に安全配慮義務違反があったとして園側を訴え、3年後に和解した。裁判後、元理事長を偶然見かけた時に美香さんは「子供たちについてどう考えていますか」と問い掛けた。元理事長が返した言葉は「裁判も終わりましたし、謝罪する気はありません」。予想だにしない言葉に絶句した。

 「このような思いをするのは私たちだけでたくさん」。美香さんは今、石巻市で語り部活動をして震災の記憶を伝えている。8日からは現場近くに開業する伝承交流施設「MEET門脇」で上履きとクレヨンが常設展示されることになった。

 コロナ禍で感染症対策に目がいきがちなことに不安を覚える時もある。「もし今、災害が起きたらコロナを気にして避難控えが起きるのではないか」。誤った判断が最悪の結果をもたらすことは誰よりも知っている。だからこそ「娘の遺品を見て、何かを感じた人が自分のことと捉えて災害について考えてほしい」と力を込める。愛梨ちゃんの生きた証が大きな教訓として未来へ役立つことを願っている。(安田 健二)

 ≪遺品をMEET門脇で展示へ≫遺品は公益社団法人「3.11みらいサポート」(石巻市)が預かり、MEET門脇で展示する。現在の保管先では透明なケースに入れて、内部の湿度も一定にして傷まないように管理を徹底。2月に石巻を震度6弱の強い揺れが襲ったが、遺品は無傷。伊藤聖子理事は「思わず“愛梨ちゃん、よく頑張ったね”と声を掛けました」と安堵(あんど)した。

 ≪上戸彩から笑顔≫愛梨ちゃんを失った美香さんら家族を励ました1人が女優の上戸彩(35)だった。上戸は震災発生から1カ月後の4月15日、石巻市で「石原軍団」が行っていた炊き出しに参加。美香さんから愛梨ちゃんの最期を聞くと、当時3歳だった次女の珠莉さん(13)を何度も抱きしめた。美香さんは「震災後ずっと暗かった珠莉が笑ってくれた」と感謝していた。

 ≪好きな球団はソフトバンク≫野球やアイドルにも興味があった愛梨ちゃん。ひいきにしていたのは地元楽天ではなくソフトバンク。実は、熊本出身の美香さんが秋山幸二監督(当時)と親族だったことからファンになった。特に好きだったのは川崎宗則選手で一生懸命声援を送っていた。また、大みそかには決まって「ジャニーズカウントダウンライブ」をテレビで見ていた。頑張って夜更かしして「ママ、いつか絶対一緒に見に行こうね」と夢を口にしていたという。

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