渡辺恒雄氏、60年来の盟友・中曽根氏を悼む「彼以上に敬愛した人物はいない」

[ 2019年11月30日 05:30 ]

中曽根康弘元首相死去

2006年4月、巨人のユニホーム姿で巨人―広島戦を観戦する渡辺恒雄氏と中曽根康弘元首相
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 佐藤栄作、田中角栄元首相ら昭和の名だたる政治家と記者として渡り合い、組閣にも影響力を持ったと言われる渡辺恒雄読売新聞グループ本社代表取締役主筆(93)は29日、中曽根氏の訃報に「彼以上に敬愛した人物はいない」と最大級の賛辞で追悼した。

 血気盛んだった若手議員時代の呼び名は「青年将校」。渡辺氏は、政治経験を積むにつれ幅を広げ、意見に耳を傾けるようになった姿に「権力者になって良い方に変わった」と評したという。

 渡辺氏の回顧録などによると、2人は1956年12月の自民党総裁選を機に知り合った。同党副総裁を務めた政界の大物・大野伴睦の番記者として信頼を得ていた渡辺氏が59年、中曽根氏と大野を引き合わせ、初入閣につなげたころからの盟友だ。

 渡辺氏は発表したコメントで「あのような勉強家、読書家は他に知らない」と勤勉さを強調。首相在任時も寝る前の読書を欠かさず、動静を報じる新聞記事に「読書」の文字が頻繁に載るほど。90歳を超えても、国会図書館から一番多く借り出す人物と言われた。それが、党内融和や外交にも卓越した調整手腕を発揮することになった、硬軟自在の“中曽根スピーチ”の源となった。

 権力を得ると立場に固執し、理念を見失う政治家も多い中、渡辺氏は「質素な生活にも感銘していた」とコメントした。「質素でいい、一汁一菜でいい」が口癖。書生が寿司を取り寄せると怒ったこともあったという。

 渡辺氏は「私にとっては親の死と同様のショックです」と悲しみに暮れた。

 【渡辺恒雄主筆コメント全文】中曽根さんの逝去は、私にとっては親の死と同様のショックです。私が平記者、中曽根さんがまだ陣笠代議士の頃から、毎週土曜日には決まって読書会をして、良書を読みあさった。夜二人で酒を飲むときも、話題は読書の話、政治の話ばかりだった。あのような勉強家、読書家は他に知らない。小泉首相の時、勝手に国会議員定年制を作られ、国会議員を八十五歳で無理矢理引退させられた時は、本当に憤慨していた。質素な生活にも感銘していた。私にとって彼以上に敬愛した人物はいない。

 ◆中曽根氏キーワード
 ▼政界風見鶏 小派閥ながら、田中派、大平派、福田派など大派閥の間を渡り歩き、その政治感覚から“風見鶏”と呼ばれた。
 ▼靖国神社参拝 85年8月15日に戦後初めて首相として公式参拝。中国から猛反発を受けると、翌年から取りやめた。
 ▼戦後政治の総決算 首相就任後の施政方針演説で表明。「政治の見直し」「たくましい文化と福祉の国」の実現のために行った行政改革。経費、補助金や人員の削減を伴った。
 ▼民営化 国鉄・専売公社・電電公社の「3公社」民営化を推進。「一人も路頭に迷わせない」と約束した上で行財政改革に取り組んだが、国鉄民営化後のJR各社では大きな収益格差。
 ▼寝たふり死んだふり解散 野党が衆院解散を警戒する中、実施しないふりをして86年6月に国会冒頭で解散。衆参ダブル選挙が行われ自民党が圧勝した。
 ▼リクルート事件証人喚問 89年5月に衆院予算委員会で証人喚問を受け「やましいことは一切していない」と関与を否定。政治的責任を取り自民党を離党も、その後復党。
 ▼年齢 首相経験者で100歳に達したのは、1990年に102歳で亡くなった第43代の東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや・なるひこおう)に続き史上2人目。
 ▼身長 公称1メートル78で歴代首相の中で第2位の身長。1メートル80といわれる大隈重信に次ぐ。当時としては高身長で海外の首相らと並んでもひけを取らなかった。

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