沖縄の象徴 首里城が炎上 鎮火に11時間 正殿内部から火災発生拡大か

[ 2019年11月1日 05:30 ]

激しく炎上する首里城の正殿(近隣住民撮影)
Photo By 提供写真

 戦禍から半世紀近くを経て復活した沖縄のシンボルの首里城(那覇市)で31日、火災が発生し主要施設が全焼するなど計7棟が焼けた。正殿内部から火が出た可能性が高く、那覇署は出火原因や経緯を調べている。燃え広がる首里城に「ウチナーンチュ(沖縄人)の心のよりどころが…」と住民らには喪失感が広がった。

 静寂に包まれた首里城に、異常を知らせる警報が鳴り響いたのは午前2時34分。警備員が施錠されていたシャッターを開けると、正殿内は煙が充満していた。いったん消火器を取りに戻り、同僚と駆け付けたが、消火器だけで対応できる状態ではなかった。2時41分に119番した。

 その7分後、那覇市消防局の最初の部隊が到着。木造3階建ての正殿の北側からは、屋根の高さまで炎が上がっていた。北東の風2~3メートル、気温23度、湿度約70%と、沖縄では平年並みの天候。懸命に消火活動が行われたが、正殿はたちまち梁(はり)と柱に。風にあおられた炎は、2000年の九州・沖縄サミット首脳会合で夕食会場になった北殿と、南殿をのみ込み、国王の執務空間「書院・鎖之間」や奉神門も次々炎に包まれた。午前4時50分ごろ、正殿の屋根がガラガラと崩落。遠巻きに見つめていた住民からは「きゃー」と悲鳴が上がった。

 鎮火したのは通報から約11時間後の午後1時半ごろ。主要7棟の計約4800平方メートルが焼失。正殿と北殿、南殿は全焼し、「黄金御殿」「書院・鎖之間」「二階御殿」「奉神門」にも燃え移った。火の粉が広範囲に舞い、周辺住民30人以上が一時避難したが、ケガ人の情報はない。沖縄県警は正殿内の北側部分から出火したとみて、1日に実況見分して原因を調べる。

 正殿に直接通じる門は全て施錠されていた。正殿には、建物外側に水の膜をつくり外部からの延焼を防ぐドレンチャーは整備されていたが、南殿や北殿とともにスプリンクラーはなかった。防犯カメラはあり、県警が映像を解析している。

 10月27日から琉球王国の儀式を再現するイベント「首里城祭」が3日までの日程で開かれていた。正殿前の中庭(御庭)では伝統芸能「組踊(くみおどり)」の特別公演に向け、30日夜に舞台や照明やぐらの設営が行われ出火の約1時間前に終了。イベント関係者は「(作業中には)正殿の中には誰も入っていない」と説明した。県警は関係者から話を聞いている。消防関係者は「電気系統の出火、火の不始末などが考えられる」としている。

 首里城公園は20年東京五輪の聖火リレーのルートにもなっており、火災の影響は尾を引きそうだ。

 ◇首里城 1429~1879年まで続いた琉球王国で中心的役割を果たした城。城の内郭は15世紀初期、外郭は16世紀中期に完成。廃藩置県で1879年に日本政府が軍隊を派遣し、最後の国王・尚泰を追放するまで国の中枢だった。国王の執務室や行政施設からなり、正殿は2層3階建ての造りや竜の彫刻が施された柱といった独自の形式を持っている。焼失と再建を繰り返してきた。世界文化遺産に登録されているが地下の遺構である国史跡「首里城跡」以外は登録対象となっていない。

 《過去の文化財火災》文化財の火災は過去にもたびたび発生してきた。1949年1月に奈良・法隆寺金堂が焼損し、50年7月には京都・金閣寺が放火され、終戦後に相次いで国宝級の文化財が失われた。法隆寺火災を教訓に文化財保護法が制定されたのは50年で、55年からは毎年1月26日を「文化財防火デー」として全国で防火訓練などが実施されている。

 だが、93年に奈良・橿原神宮の神楽殿が、98年に奈良・東大寺戒壇院の千手堂がそれぞれ全焼するなど、かけがえのない建造物が被害に遭うケースはなくならない。4月にはパリ中心部の世界遺産ノートルダム寺院が出火し世界に衝撃を与えた。

 文化庁は9月、ノートルダム寺院火災を踏まえ、国宝や重要文化財の建物に消火設備の設置などを求める防火対策指針をまとめた。

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