備えても超えた浸水 福島本宮市 過去の教訓生かし切れず

[ 2019年10月18日 05:30 ]

基礎がかさ上げされている鈴木幸子さんの自宅だったが、想定を越える浸水があった
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 19日で台風19号の直撃から1週間。台風19号の被災地域では、17日午後も各地で捜索が続いた。死者は12都県で77人にのぼり、行方不明者は15人とみられる。全国最多の27人の死者を出した福島県では1986年の「8・5水害」など過去の大規模水害に見舞われた教訓が生かし切れなかった側面も見えてきた。さらなる被害の拡大が懸念される中、阿武隈川の氾濫で被害の大きかった福島県本宮市に足を運んだ。 (岸 良祐)

 JR東北本線の本宮駅から東に約150メートルほど続く坂道を上ると、その先に阿武隈川が流れている。あふれた水がこの坂を流れ落ちていく様子を想像しただけで背筋がゾッとした。駅周辺の小道の泥はすでに運び出され、車が通るたびに土ぼこりが上がっていた。あちこちに浸水した家から運び出された家具が並んでおり、家の中の泥をかき出す作業に追われる人の姿もあった。

 駅から北に300メートルほど離れた阿武隈川と支流の安達太良川に挟まれたエリアに、今回の水害で亡くなった鈴木幸子さん(享年78)の家があった。家の様子を見に千葉県柏市から訪れていた鈴木さんの長女・敦子さん(51)は「当時のことは想像したくない。気づいたら母が水の中だったと思うと…」と声を震わせた。

 鈴木さんは4年前に夫を亡くし、一人暮らしだったという。台風が直撃した12日の夜、敦子さんが電話を何度もかけたが、鈴木さんが電話に出ることはなかった。翌13日に柏市から車で本宮市に向かったが、一帯が冠水していたため近寄ることもできなかった。14日に郡山市内のホテルから実家に向かう途中、合鍵を持っていたヘルパーと一緒に家の中に入った兄・教夫さん(53)から「母が亡くなっている」と連絡が入った。

 鈴木さんは1階の寝室のベッドと壁の間で発見された。足腰が弱く、デイサービスを週2回、ヘルパーも週2回利用していたが、洗濯物は2階に干すなど、階段を上がれなかったわけではない。「避難するか、最低でも2階には行っておかないと…」と敦子さんは悔やみきれない様子。そして「近所の人は(重大さに)気づけていたのに、どうしてうちの母は…」と言葉を詰まらせた。

 福島県では19人の死者を出した86年の「8・5水害」や11人の死者を出した98年の「8・27水害」などの教訓から、治水への意識が極めて高い。鈴木さんも「8・27水害」の後、「水が胸の高さまできたことがある」(敦子さん)ため、家をリフォームして基礎を1メートルかさ上げしていたが、今回はそれを超える床上1・8メートルほどの高さまで水が流れ込んだ。治水事業に詳しい専門家も「水害対策では最悪の数値を基に対応するもの。今回はその予測をはるかに超えていたと言える」と教訓が生かし切れないほど想定外の水害だったことを強調した。

 台風19号の直撃から19日で1週間。週末は広い範囲で雨が降る見通しで、さらなる被害の拡大につながるおそれもある。“備えあれば”のはずが、“備えがあっても”の無情な現実を痛感させられた。

 《改めて役立つ先人の知恵、堤防より高い地点に「蔵」》水害対策を専門とする公益財団法人リバーフロント研究所技術参与の土屋信行氏は「先人の知恵に改めて学ぶ点は多い」と語る。歴史的に水害の多い地域には、江戸時代から伝わる「水塚(みづか)づくり」という家の建て方がある。土屋氏によると一番低い場所に納屋、そこより高くに母屋、一番高い地点に蔵を建てていた。「蔵を周辺の堤防より高い場所に建てて、味噌やしょう油など食料を備蓄。洪水時には緊急避難していた。非常時の交通手段として舟も備えてあった」と説明。これに習って「かさ上げするなら堤防より1センチでも高くするのが理想だ」と指摘。ボートなどの準備も有効だとした。

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