石巻 奇跡の鯨缶で食を活気づける「木の屋石巻水産」商業捕鯨再開追い風

[ 2019年3月12日 05:30 ]

東日本大震災で300メートルも流された、木の屋石巻水産のシンボルだった巨大タンク
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 宮城県石巻市魚町は、その名の通り水産業者が立ち並ぶ沿岸部の町。真新しい工場と更地が入り交じる風景が、全てをのみ込んだ津波の爪痕を感じさせる。震災後は「鯨の大和煮」の塗装が施された巨大タンクが無残にひしゃげ、転がる姿が報じられた。

 鯨缶の製造元「木の屋石巻水産」が2014年に建てた真新しい工場を訪ねると、木の屋ホールディングスの木村隆之副社長(64)が「おかげさまで、ここまで来ました」と笑顔で迎えてくれた。

 昨年末に飛び込んで来た朗報に、工場が活気づいている。日本の国際捕鯨委員会(IWC)脱退と、7月に控える商業捕鯨再開だ。「ウチは鯨缶製造のためにできた会社。これまでと違う風が吹いてきた」。創業以来50年以上作り続ける看板商品が、全国区となることを期待している。

 鯨が日本の食卓から消えて30年。消費がどれだけ戻るかは未知数との指摘もある。それでも「当時に比べて冷凍保存技術は格段に進歩した。昔のように、臭みが気になることもない。牛・豚・鶏と並ぶ選択肢になり得る肉」と確信している。

 鯨食は東北に古くから根付いた文化。石巻市内にも、捕鯨の町として栄えた鮎川地区がある。近年は国内外のあらゆるルートで鯨肉を入手する木の屋だが、鮎川が活気づけば地元の復興がさらに加速すると期待する。

 8年前、木の屋は津波で工場が完全に倒壊。ガレキと泥の中から掘り起こされた100万個の“奇跡の缶詰”が話題になった。支援物資の行き渡らぬ避難所に届けられ、被災者の命をつないだ。流れ着いた缶詰を食べた人もいたという。都内ではサバ缶が販売され、人気になった。「あの時、僕らは“この味を忘れないで。絶対復興しますから”と誓った。多くの人に買ってもらい、助けてもらって今がある」と感謝の思いを持ち続けている。会社は「ようやく軌道に乗ったところ」というが、「日本の食文化を守るのも大切なこと。こちらも頑張らなくちゃいけない」と語気を強めた。苦しみや悲しみばかりでなく、被災地にも光が差し始めている。(岩田浩史)

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