堺屋太一さん死去 「団塊の世代」名付け親、元経企庁長官…マルチに活躍

[ 2019年2月11日 05:30 ]

8日に死去した堺屋太一さん
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 「団塊の世代」の名付け親であり、経済企画庁(現内閣府)長官を務めた作家で経済評論家の堺屋太一(さかいや・たいち、本名池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日午後8時19分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。83歳。大阪市出身。1970年大阪万博の開催にも尽力し、2025年万博招致でも市にアドバイスしていた。多彩な才能の持ち主を惜しむ声が続出した。

 事務所関係者によると、堺屋さんは昨年12月まで執筆やテレビ出演などの仕事を精力的に行っていたが、今年1月に体調を崩して入院。快方に向かっていたことから4月頃の仕事復帰を目指していた。ところが、亡くなる2日ほど前に容体が急変。最期は洋画家で妻の池口史子さんらにみとられ、入院先の病院で息を引き取った。

 知人は「持病などはなかったようだ。25年の万博を楽しみにしていて、年末の番組出演でも熱弁を振るっていたのに」と突然の別れを悔しがった。

 アジアで初めて開かれた70年大阪万博の立役者が堺屋さんだった。60年に通商産業省(現経済産業省)に入省。万博の企画・立案を進め、招致実現に動いた。34歳で迎えた同万博ではプロデューサーとして活躍。芸術家の岡本太郎さんや、建築家の黒川紀章さん、デザイナーのコシノジュンコさんら当時の若手クリエーターを積極的に起用するなど手腕を発揮。国内外から6400万人以上が来場した国家事業を大成功に導いた。

 55年ぶりに戻ってくる25年の大阪万博にも心を躍らせていた。大阪府市併任の特別顧問として活躍。吉村洋文大阪市長によると、万博誘致についてアドバイスし、自身の経験を踏まえて「若い力で万博を成功させて」とエールを送っていた。周囲にも「新たな時代にふさわしい万博で日本が元気になれば」と期待を口にしていた。

 時代の流れを捉えることにたけ、第1次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と名付けた76年の同名小説は、日本の人口問題が社会に与える影響をいち早く予測し、ベストセラーに。民間人閣僚として、98年7月から2000年12月まで小渕内閣と森内閣で経済企画庁(現内閣府)長官に起用された際にも、貫いたのは難解になりがちなテーマを平易に伝えようとする姿勢。タクシー運転手やスナック経営者ら幅広い人々に景気情勢を聞く「景気ウオッチャー調査」を発案した。

 関係者によると、5月1日の改元後の日本社会にも大きな関心を寄せていた。「改元して新しい時代を迎える日本がどうなっていくのか」などと話していたという。この国の未来に思いをはせたまま旅立った。

 《アベノミクスの一翼担った》堺屋さんの死去を悼む声が10日、政界からも相次いだ。衛藤晟一首相補佐官は、堺屋さんが内閣官房参与として安倍晋三首相に経済政策を助言していたとして「少子化の時代にどうすれば経済成長を実現できるかを考えてくれた。アベノミクスの一翼を担ってくれた」と語った。

 通産省で後輩だった自民党の細田博之元総務会長は東京都内で記者団に「1970年の大阪万博の功労者だ。2025年の大阪万博にノウハウを生かせたのに残念だ」と述べた。

 ◆堺屋 太一(さかいや・たいち、本名池口小太郎=いけぐち・こたろう)1935年(昭10)7月13日生まれ、大阪市出身。東大工学部建築学科から経済学部へ転入し卒業。通産省から沖縄開発庁(現内閣府)出向中の75年には沖縄海洋博も手掛けた。ペンネームは大阪府堺市から大阪市に移った先祖の商人が使っていた屋号「堺屋」にあやかった。

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