【コラム】山内雄司

「何かを起こしたチーム」へ もっと厳しさ、したたかさを

[ 2016年8月17日 05:30 ]

1次リーグで敗退した五輪代表を率いた手倉森監督
Photo By AP

 1次リーグで帰国することになった男子五輪代表について、OAの起用に関する指摘が相次いでいる。今回は興梠、塩谷、藤春の3人が参加し、特に塩谷、藤春の両選手はDF陣を統率する役割を果たせず、さらには失点につながるミスを連発してしまった。実際のところ、そのパフォーマンスには失望させられたし、これならば起用しないほうが良かったという論調が生まれるのも致し方ないことではあろう。マイナスを補ったうえでプラスを増やすというOAの意義からすれば、結果論は承知の上で大失敗だったと言わざるを得ない。

 選手としてパフォーマンスには責任を負わなければならない。それに関しては今さら言われるまでもなく、本人たちが痛感しているに違いない。今後も折りに触れて蒸し返されるのも覚悟しなければならない。なかでも藤春は、あのオウンゴールによってこれからも苦しめられるだろう。言い逃れも反論も許されず、ただひたすらに耐える日々が続くと予想される。プレーで見返していくしかないのだが、それでもあの失態が無になるわけではない。プロフットボーラーとしていかに苦しみと向き合い、運命を切り開いていくのか。酷な言い方だが、藤春こそ最大級の経験を積んだ。それを活かすも殺すも本人次第である。いつかリオでの戦いが「無駄ではなかった」と言える時が来るまで、藤春は闘い続けるしかない。

 話を戻す。結果として大失敗に終わったOA起用の責任は大部分が手倉森監督にあると言わざるを得ない。なぜあの3人だったのか、という議論もあるが、これは指揮官の哲学によるもので理解はできる。最終メンバー発表会見では次のように語っている。
「攻撃的に果たしてやれるのか。僕は必ず押し込まれて守らなければいけない状況が続く大会になるだろうと6割方思っていて、相手を打ち負かそうと思ったときの守備、SB、CB、そこ(守備)を厚くするためにボランチを4枚にしました。ボランチには遠藤という後ろをどこでもやれる選手がいる。塩谷はサイドもできる。複数のポジションをこなせる選手を後ろに置き、後ろを万全にしておきたかった」

 自身の哲学を遂行する上で必要なピースをして組み入れ後ろを万全とするためのOA起用であった。だが、実際は万全のはずの守備が破綻した。ここには2つのマネジメントミスがあったと感じる。

 ひとつはOAへ求める役割の曖昧さではないか。同じく会見で手倉森監督はOA固定化か否かという趣旨の質問に対して、「もちろんOAを採用して彼らに来てもらったわけですから、軸という意識、責任感は十分に感じてもらわないといけない。ただ、やっぱりコンディションありきなので、選手とコミュニケーションを取りながら、彼らが出続けるというよりもチームが勝つことが重要だということを皆で理解しながら、やっていければと思います」と答えている。

 後ろを厚く、ユーティリティ性に富んだ人選をし、チームが勝つことの重要性を説き、OAには“ある程度の”固定化を示唆する。いかにもチームワークありきでコツコツと創り上げてきた手倉森監督らしい配慮されたコメントである。興梠、塩谷、藤春という人選は、彼らに軸になってもらいつつ、これまでのチームのまとまりを理解してくれることを前提としている。もっと言えば、これまで作ってきたチームを壊すことなく、11人のひとりとして溶け込んでくれ、と要望していることでもある。

 ただでさえ、同じ哲学の下で予選を戦ってきたチームに溶け込むのは容易なことではない。そこで指揮官から『合わせてくれ』とのタスクを課されたら、いかにA代表経験者としても、世界戦での経験に乏しい3人では自分を出すのはむしろ難しくなったのではないか。どちらかと言えば情熱を秘めるタイプの3人には、逆説的に「任せたぞ。なんとしてでもグイグイ引っ張ってくれ」と言い渡すほうが向き合いやすかったのかもしれない。

 結果論である。でも、仮に自分が選手であったら、「これなら別にOAじゃなくて良かったんじゃないか。リオ行きを勝ち取った皆とやったほうがしっくりくる」と思ってしまうだろう。連動した守備を重視しつつ、連動性を欠いた要因には、そんなマインドも円強したのではなかろうか。

 ふたつめのマネジメントミスは、OAを含めた修正策や起用策に乏しかったことだ。ユーティリティに優れた選手を選んで後方を万全としながら、ナイジェリア戦の立ち上がりからの崩壊を受けて早急にDFラインにはテコ入れが必要だった。両CBが機能していなかったのは明らかであり、後半から遠藤を下げるのも手だったろう。また、コロンビア戦もGKを代えながらDFラインはそのまま。懲罰的な交代は挽回のチャンスを奪い、余計にネガティブな連鎖を起こすとの指摘には一理あるが、OAが出続けるわけではなくチームが勝つというのが最重要とし、ユーティリティ性を考慮して選んだ人材であったのならば、もっと策はあったはずだ。

 コロンビア戦の追い上げ、スウェーデン戦のチャンスメイクには胸が高鳴った。しかし、不甲斐ない結果に終わったのは紛れもない事実だ。選手は口々に世界との差を感じたとのコメントを残したが、差があるのは初めから分かっていることで、それをどのように補い勝利に結びつけるかというチームの命題を賭けて臨んだ重要な初戦で大量失点し、2戦目も2点を奪われるという事態に、指揮官の責任は免れない。

 厳しい意見を綴ってきたが、多くの選手にチャンスを与えながら、徐々に選手に自信を植え付け、脆弱だった選手たちとそのチームに逞しさを身に付けていく過程において、手倉森監督は十分なる手腕を発揮した。ただ、だからこそ最後の決戦の地であるリオで、もっと何かできたのではないか、選手たちに非情さも含めて経験を積ませられたのではないか、とも考える。

 グループリーグ敗退が決まったロッカールームで、手倉森監督は男泣きしながら選手に感謝し、こう語りかけたそうだ。
「上に行ったら必ず何か起こせるチームだと思っている。そのチャンスが他の試合の結果で転がってしまった。悲しい」

 行かせられなかった自分を責めているのだろう。手倉森監督は優しすぎた。人間味が溢れすぎた。しかしながら、勝負の世界ではそれは時に枷となる。「何かを起こせると思うチーム」と「何かを起こしたチーム」の差はとてつもなく大きい。

 手倉森ジャパンは終焉した。もっと厳しさ、したたかさがあったなら、ブラジルにとどまっていることもできたはずだ。後味が優しさに満ちれば満ちるほど、虚しさが募ってくる。(山内雄司=スポーツライター)

続きを表示

バックナンバー

もっと見る